元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

イトイ新聞

本来の日記部分

  • 仕事

今後について面談。
事態は好転しているかもしれません。
なぜなら、以前とくらべてストレスが抑制されてきているので。。

日常でむやみやたらに腹が立つことが少なくなりました。

抜粋・紹介

  • イトイ新聞(ほぼ日)

最近の矢沢永吉さんのインタビューは、感動に近いものがあります。
「すべて責任を自分で引き受けて自分でやる」というスタンスのヒトは尊敬するし、そうありたいと思います。

イトイ新聞の中で新しくできた検索機能を使って、過去の矢沢さんの記事を読み返しています。
(以下、抜粋)

(略)
いまの人たちは、
「えらくならなくてもいい」とまで言うわけだよね。
プライベートを大事にしたいとか、
会社に縛られたくないって言う。
それもまあ、ひとつの人生だとは思う。
(略)
そういう形でいくと。
そんなにたくさん給料もらえなくてもいいと。
もちろん食っていくには必要な金がいる。
でもそんなに莫大な金は、いらない。
(略)
その人が、40になっても、50になっても、
果たして同じスタンスを貫けられるんだろうか?
‥‥ここだけよ、問題は。
(略)
ほんとに40になっても、50になっても、
そのスタンス変えなくていいんだな? ってこと。
最後までいくんだったら、
それはそれでひとつの生き方だよ。
(略)
だけど、ほんとにそこまでいけるかなと思うんだよね。
そこに現実というものがある。
(略)
その人は、俺に言うかもしれない。
「放っといて、自分の人生だから」
そう言われると、俺も、もうこの歳だから、
いろんな生き方を見てるし、
いろんな生き方があっていいと思う。
でもね、ただひとつだけ、ぼくが思うこと。
(略)
「それを絶対あとで、人のせいにしちゃダメだよ」
というのは、言っておきたい。
あとで、国のせいにしたり、周りのせいにしたり。
わかる? これはダメだよって。
これは約束違反だからねって。
(略)

(抜粋おわり)

ところで、イトイ新聞のバックナンバーで、矢沢さんを語る、みたいなインタビューがあり、その中で、矢沢さん、のみならず、ひとりでやってる人たちは、日々「決断している」というくだりがあり。。

そういう「決断している人たち」を批評したりするマスコミ側が、決断すること自体の厳しさをわからないで記事を書いているケースがある、という発言がありました。

これは、副産物でしたね。

自分は「決断している人たち」の末席に連なっている自負はあるので、この発言が、身にしみてわかるのです。
スポットライトを浴びているヒトたちに群がって批評を加えるのはマスコミですが、自分のような「決断する一般市民」に近寄ってきて、ただ何となく思いつきで批評を加えるのは「庶民」そのものです。

この「庶民」を最近、私は「忌み嫌っている」とまで言っていいと思います。

オマエは庶民ではないのか、という問いに対しては。。 この日記でも断片的に書いていますが、自分は、はためには庶民に属しているかもしれないが、人生において常に決断を続けることによって、庶民側からは離れたいと思っているし、それを実践している自負はある、といっておきます。

  • イトイ新聞(ほぼ日)2

以下もバックナンバーを読み返してみて面白いと思ったところですが、主筆糸井重里さんが矢沢さんを語る中でそこから派生してでてきた話です。
(以下、抜粋)

糸井
今、ほぼ日を読んでくれている
ハタチの人たちを見ると、
「なんてすばらしいんだ」と感じるんです。
積極的に、先輩から学ぼうとしていますもん。
ぼくら、先人のしたこと、知ろうともしなかった。

飛鳥時代から続いてる大工の考えがすごい」とか、
今の若い人が、そういうことも敏感に感じとれるのは、
そう思えるだけの、「自由」があるんですよね。
くだらない反抗だけで生きていくようなことを、
しなくて、すむわけだから、やっぱり豊かですよ。

ぼくが10代の後半の時代には、
自由自由とさけびつづけながら、フーテンをして
何もしないで一生を送る超モラトリアムな生き方や、
「何も探せないんだ」みたいな表現をする人が、
正直だと思われていたんです。
そんな中で育った人間の下地は、
ほんとうに、ぜい弱なものだと思うよ。

それで、当時の学生だとかは、
社会やおまわりさんに、とにかく反抗したり、
何もわからないまま、象徴的な議論ばかりをして……
つまり、身の丈に、合っていないわけです。
シンボリックな生き方。
ぼくも、えらそうなことを頭だけで言いながら、
何か居心地の悪さを感じていた。

ほぼ日
肯定をしないで、
否定ばかりをしている時代だったんですね。

糸井
そういう観念的な時代に、
「オレは、金が欲しいよ」
って言いながら、同年代の永ちゃんが現れた。

(抜粋おわり)

このインタビューの中で、糸井さんが、同年代(団塊の世代)が自分たちの時代について語ることに対して批判を加えている箇所があり、興味深かったです。「そんなに語ることなんかあるのか?(少なくとも自分は、ない)」と。

我々世代も、そのあたり、常に疑いの目でみているところですので。。

オレもムカシは不良だった、という同じレベルで、オレもムカシは機動隊に石投げたもんだよ。。と。
一介の学生が。そこに確固たる思想的根拠はあったのか? と。。