元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

流せる、もしくは「いなせる」

stevengerrard.hatenablog.com

ビジネス上でのトークで、というか飲みね、接待とか? まあ打ち上げとか?
アルコールの入る席であ、こいつやるな、と思わせるのはね、その周りに群がる並み居る「小物」たちの言動を流せる、あるいは「いなせる」かどうかなんだよ。

そのへん、みられてるよ!

まぁ飲みの席だと「小物」どもが酔った勢いで議論ふっかけてきたりすんじゃん。くだらねえけど。「それ違うんじゃないですかー」みたいな?

逆にいうと、酔わないとゼッタイにふっかけたりできないのが小物。

こういうときに、完膚なきまでに論破するのではなく(容易にそれはできる力量を持っている)「なるほど!」と受け止め、かつ流すことができるか。
(ひとつのたとえ)

小物(バカ)は勝った気になるんだろうけど、飲みの席の局所的な論戦に一度敗けたところでまったく!傷はつかない。
どころか流すだけで周りの評価UP!!

(よくある?)労働と仕事論

stevengerrard.hatenablog.com

仕事を仕事と思わないほうが収入も上がり、幸せになっていくというのは、逆説的ではあるが「一面の」真理ではあるな。

そもそもオレの持論として、心理的あるいは肉体的な苦痛が「継続的恒常的」に続く「労働」が仕事だとはどうしても思えないんだよな。

それでカネもらえるって当たり前っていうか、身体のメンテナンス代?それって補償でしょ単なる。

「原価割れ状態」って感じ?身体がダメージ受けてんだからカネもらったってちっともうれしくねーっつーか感謝すらしたくねーっていう。

ただし!苦痛を「瞬間的に」伴うのはアタリマエ。仕事なんだから。

小損を積み重ね/ダイエット/引き寄せ などなど小ネタ集

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エンジニアライフのボツ原稿(の残骸たち)

 先ほど、自分が経験した損とこれから経験するであろう得とに因果関係はないと書きました。一方で、世の中には、直接的な因果関係をつくるための「お金」というツールがありますね。

 私が今、まさに書いている小損を取るという考え方が、間違いなく普及はしないであろうというのは書いている私がいちばんわかっているのですが(涙)、その理由は、ふつうの現代人はすぐさま「得」がほしいからです。

 損を取るのであれば、すぐに得がやってくるという条件なら構わない、ということです。

 こっちは損するのに、どんな得がくるかもわからず、得がやってきてることに気づかないかもしれない、なんて、この高度資本主義社会では言語道断、というわけですね。

 そこで登場するのが「お金」なんですけど、自腹を切れば昨今たいていのものが手に入ります。最近アマゾンで頼むと翌日に配送されてきますし(笑)。

 「自腹を切る」というのはとてもわかりやすい「損」です。数値なので最初から定量化されています。小損なのか大損なのか、自分が失ったお金で測れば一目瞭然。

 と、いうことは… 人間の願望というのはほぼほぼカネで解決できるという前提に立つならば、先ほど計画が大事と書きましたが、まずカネを稼げばいいのです。あるいはローンを組んでカネを借りればいいのです。

 と、いう意味では、「計画」というのは多くの場合、ゴールのバリエーション(何がほしいか)はほぼほぼ意味をなさず、いかにカネを稼ぐか、ということに収れんされていきます。

 これが、まさに、資本主義社会というものです(苦笑)。


 実践する人間には「人事を尽くして天命を待つ」というフレーズが、効いてきます。ただ念じているだけの人間には効いてきません。

 イメージとしては、自分もその対象を迎えにいくし、相手も自分という磁場に少しずつ引き寄せられてくる、そして、「相手がもといた場所に近いところ」で出会う、ということです。自分が、けっこう「足労」すること。

 あくまでイメージですのでツッコミはなしでお願いします。

 自分が対象に近づいていくということはプロジェクトを推進するということです。
そして、自分が成長するということがイコール自分の磁場を強くするということです。

 自分の磁場が強くなれば、対象は自分に引き寄せられやすくなります。が、実際対象を引き寄せられる(ように感じられる)というのは、ここが、「天命」なんです。
われわれではどうしようもないところ。いわゆるカッコ書きの「引き寄せの法則」のキモもここなのでしょうね。自分の磁場が偶然性を左右できるのか否か?という命題。

 でも、 ビジネスにひきつけていえば、方向性が正しい努力をしている人には必ず、たとえばよき出会いがあったり、びっくりするような偶然があって逆転で受注できたり、とか…

 そういうのは必ず経験しているはずなんですよね。

 そのキモのところはあくまで偶然の産物なので、本当はマニュアル化とかはできないものなのです。インチキでマニュアル化して高額で売りつけている団体はあるようですが(苦笑)

 重要なことは…「あきらめ」。

 あきらめの前にまず、自分の努力の方向性はまちがっていないかを冷静に確認するということ。(努力してない、は論外です)

 自分の努力の方向性はおそらく正しく、対象に近づいていっている実感があっても対象が近づいてこないようであれば、あきらめましょう。あきらめることはとても重要なことです。

 なぜなら、人生で与えられた時間は有限だからです。自分の磁場にまったく引き寄せられてこない対象を追いかけ続けてる時間は、ないんです。

 

 

 たとえばそれが仕事だったりして、あっさりあきらめることができないのであれば、もっとアタマをつかって、着地点を変えることですね。たとえば到達目標の売り上げが自分のキャパの2倍なのであれば、自分は1.5倍がいっぱいいっぱいです、と上司に懇願する必要があるかもしれません。

 そういうのがまったく受け入れてくれないブラック企業だったら辞めてしまえばいいのです。

 甲子園で優勝するためには優秀な人材を集めて優秀なコーチのもとで効率的かつ密度の濃い練習をするというのが大・大前提条件なのですが、その方法でホンモノの実力をたくわえたとしてもぽこっと、地方大会準決勝とかで負けてしまうことが、あるんです。

 優秀な人材を集めるといったってどの強豪校でも同じようなことをやっているわけですから、最後は「人事を尽くして天命を待つ」しかないのです。

 ここまで、まったくアヤしいことはいってませんね(苦笑)。

 某地方の某野球の強い強豪校の某監督は、この最後の最後で天に味方してもらうために、小損を取ることを生徒に実践させています。使っている言葉は「小損を取る」ではないですが、やっていることはまったく同じです。

 ここの高校は、人材的には、ピカ一の逸材を集めることができない。がためにこういうことを実践し、結果、全国レベルの強豪校と互角にわたりあっています。


 真夜中に、セブンイレブンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなっ
たら、ただ行き、そして買うだけです。

 おっと、これをいってしまうと身もフタもないな…(苦笑)

 夜中に食べたくなるシリーズの続きですが、自宅にいるとき、深夜にどうしても、たまに職場近くで飲んだ後〆で食べているこってりラーメンが食べたくなった、と…
 行くにしても、終電終わってるし… みたいな?

このぐらいになると、直線的に、行って買ってゲットする、というわけにはいかないので、我々の頭の中では「計画」が発動されてきます。

 まず「計画」(すなわち"Plan")フェーズにおいて「おいおい、ホントに食べるのか?」「ダイエット中じゃないの?」とかそういう葛藤があり、でもお腹がぐーぐー鳴ってしょーがない、という喫緊の状況下でもあり(笑)、まず、"Go"/"Not go"が
決まってきます。

 本当にそれを食べるのであれば、まさに今タクシーに飛び乗って出かけるという選択肢もありますし、もう眠いし面倒くさいから動きたくない… というのであれば、「今はコンビニでカップラーメンでお茶を濁し、月曜の11時半にそこのラーメン屋に駆け込む」という選択もありますね。

 あるいは、自宅から歩いていける距離の駅前の、求めているラーメンとはちょっと違うあっさりラーメンで手を打つとか(笑)。

 こういうのも立派な「計画」です(笑)。 

 何がほしいのか? 何を実現させたいのか? その規模が大きくなればなるほど難易度が高くなるので、”Plan”にかける工数も大きくなります。

 そして、実際のIT業界におけるプロジェクトと同じように、莫大な工数をかけても完遂できない(実現できない)ことも多々ありますよね。

 あるいは”Plan”のフェーズで「今のオレにゃムリだね」とあきらめることもあります。でも、どんな規模であっても、どんなに荒唐無稽であっても、死ぬほど「ほしい!」「実現させたい!」というのであれば、もう少し智恵が出てくるものです。

 ビジネスの成功本は、おおよそそういうストーリーで書かれていますね。あ、あと「プロジェクトX」もそうでした(笑)。

 それが高いか安いか、大きいか小さいか、は関係なくって、何かモノ/コトを強く欲しい!!とと願い、実現させていくことは、未来を自分の思うがままに変える、ということなんですよ。

 コンビニでコーヒーを買うのだって、そうなんです。コーヒーを飲んでカフェインを摂取してほっと一息ついている、という未来予想図を実現させにいってるだけですからね。

 そして、強く願い、実現させる、の間には神は介在せず(苦笑)、"Plan"と"Do"があるだけなんです。"Plan"の品質が上がれば上がるほど、"Do"の品質も上がりますので、実現の可能性はあがります。(コンビニのコーヒーの例のように、簡単に実現させることができる場合は、計画は一瞬で終わりますがw)そして「強く願い」が強ければ強いほど、人を引き付けるんですよね。それを実現させるためにManPowerが必要になることは、規模によってはありますからね。

 えっと引き寄せの法則と「小損を取る」と"Plan"/"Do"の話との関連性についてはわかっていただけましたでしょうか?(苦笑)

 それをドキュメンテーションするかどうかの話で、やりたいことを実現できている人は、「両輪」でやっているはずです。つまり、私のこの「小損を取る」理論と似たようなことを必ずやっているはずで、それぞれの方が未来を明るくする具体的手法をもっているはずで、その手法によりなんとなく未来を明るい方向へ向けながら、具体的な計画をたて、そしてそれを遂行している。


大損小損の境目は「やべ。」

なんかうまくいってる感のある、いろいろ引き寄せてる「風」の人は、たまにいるんですけど、実はこういう方って無意識のうちに小損をとれてる人なんだと思いますよ。

私のように育ちの悪い人間(苦笑)は、そこに至るまで訓練が必要なわけですが、親の躾、教育、家庭環境が素晴らしかった人というのは社会に出た時点ですでに「小損を取る」の自動化ができているわけです。だから、強い。

そういう方の印象って「しなやか」なんです。

さて

小損を取るというベースがあり、引き寄せの法則の恩恵にあずかっているように見える人というのは、それは「たまたま」です。(ここ、重要)

小損を、「下心」なしに自動化して行えるようになった人は、小得なり、小得が積み重なった結果としての大得を引きます。(略)

なのでこれは「引き寄せ」とはまったく相反する考え方ですよね?

ここまでが前提。さて、どんな得を引くのかわからないのであれば、たまたま!自分が具体的に、強く、望んでいた事象を引き当てることも、ありますよね。「たまたま」。

そうなると、実現したほうもびっくりなので、周りにいいふらします。結果としてまるで「引き寄せた!」みたいになっちゃうわけです。

もうひとつのケースとしては…

まず、小得/大得を引くということは、イコール、「人生が好転する」ということです。ここまでは、異論ないですよね。

ただし、好転といってもじわじわです。

でも、じわじわであっても、好転していけば、マインドも変わってきますよね?当然。少しずつ、ポジティブに変わってきます。

(あくまで、少しずつです)

そうすると、ですね、ふつうの人は、何か強く願い事をしていたことなど、忘れてしまうのです。

何かを強く願っている状態、というのは、ほぼほぼ、人生が好転する前なんです。だから、望むわけですよね? 一発逆転的な何か、を。

でも、好転が始まると、その願っているものは必要なくなってきちゃうんですよね。

 たとえば「報われたい」とか「感謝されたい」とか… 小損というのはそういう目的で取っていくわけではありません。当然、お金をゲットするためでもありません。

 小損を積み重ねている過程で、ぽこっと願いがかなうことはありますが、それはただの偶然です。

 そういうヒト(下心があるヒト)は、また「矯正」が必要なんですね… そういうヒトは、「こんなにオレ(アタシ)が小損をとってんのに、ぜんぜんいいことなんかねーじゃねーか!騙された!!」とか言い始めて、やめちゃうんですよね。

 その考え方が根本的に間違っているのです。あるいは、「ぜんぜんいいことなんかねー」といいながら、毎日お腹いっぱい食べて生きていること自体が、その人にとっての「小得」なのかもしれません。

 というかそういう考え方の人には「小得」しかきませんよね… 人生のバランス的に。「小得」を引いているだけでもうけもん、というか。

 未来を「なんとなくいい方向に変える」ぐらいしか人間はできない。

IT技術者の悲しい性(笑)

 

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ずっと、目の前の仕事の生産性を上げていきましょう、上げ続けていきましょう、そうすれば劇的なパラダイム・シフトが起こりますよ、という話を続けてきているのですが、その最たるものについて書きます。

 今の時代、SEが生産性を上げていくとどうなるか。

 答えは、なぜか会社から仕事をとりあげられる(苦笑)。

 そして、大多数の自分より仕事ができない(生産性が低い)人間に仕事を「やらせる」のが仕事になる。

 それは部下だったり常駐パートナーだったり下請けだったりベンダだったりハケンさんだったり...

 あるいは自分の上司に仕事を「やらせる」こともよくありますね。

 やらせるだけならまだしも...

 いつの間にかオプションがついて、「育てる」がミッションになってきます。

 なぜか、部下だけでなく他の会社の人間も、上司すらもいっしょくたに育てゲーをしなければならなくなる。

 なぜなら、育てないと、育ってもらわないと、自分が忙殺されてしまうから。

ちなみに、ここでいってる生産性の高い低いというのは所与の能力、スキルではありません。努力を惜しまなかった結果として自身が生産性が高くなれば自然、周りを見渡すと皆生産性が低く見えるということです。つまり、相対的な話です。

 旧態依然とした会社ほどそういうところありますよね。スターを発掘すると、そのスキルを横展開するようそのスターに強要するというか。

 「オマエばかり生産性高いのはズルい!みんなに分け与えよ」みたいな。

早く帰れるはずなのに、わけわかんない内部の勉強会開けといわれてパワポ数十枚準備させられたり。しかも業務時間外に。

 しかもこれ、まったく余計なお世話なんですが、上層部はそのスターに対する会社の「親心」だと信じて疑ってないわけですね。育てゲーをして、オマエも育て、と。

 でも、会社の親心というのは、スター候補生を飼い馴らしていくため、その後出世すると仮定して、その会社独自のしきたりを教えて出世の障壁を少なくしてやる、ということであって、エンジニア/ビジネスマンとしての市場価値を上げてあげようという親心ではない。決して。

 会社としては、もしそのスターのスキルがまんまと現場にトランスファーされるのであれば、現場のスキルが底上げされて一石二鳥ですが、ところがどっこいそんなにうまくいくことはほとんどなく、結局底上げどころかただ「薄まる」だけなんですけどね。

 組織としては強靭になるはずもなく、脆弱になっていくだけです。

 現場でくすぶっている方々を育てようとしてもそもそも育ちません。なぜなら自身で育つ(生産性を上げる)気がないからです。その気があればとっくに育っていたはずです。

 会社に入って何年、あるいは何十年、生産性が低空飛行のままだった人間は、基本的にずっと、これからもそのままです。

 だから、育てゲーしてる(させられてる)方は毎日イライラします(苦笑)。

 「あーみてらんない!」「俺がやる!」と自分がやって、自分の作業の品質のほうが良いがためにその場をまるく納めたとしても、成果を出しても、なぜかオコられる。

 なんでオマエがやるねんと。部下を育てろと。

 あるいは、オマエは単価高いんだからワークするなと。

 そりゃ、ストレスたまりまくりですよね...

 自分が生産性高い人間になると、結果、毎日職場でイライラして過ごすことになる。これが「劇的なパラダイムシフト」(苦笑)。

え?そんな結論でいいの?(笑)

 だいたいですね、スターを発掘したらその人にまんまと育てゲーを押し付けるのがそもそもおかしくて、ほっといても仕事する(そして結果を出す)人材なんてホント貴重なんですから、勝手に好きなようにやらせておけばいいのです。

 今上層部に居座ってるヒトタチが、まだ現場の管理職だった頃にそういう生産性の低い人材を矯正して、育てゲーしておくべきだったんじゃないですか?

 それができなかったんでしょう?まんまと失敗したんでしょう?

 と、門外漢の私なぞは思いますけども(笑)。

 生産性が上がってくるとふたつの意味で目立つようになるので、

① 結果が出る ② 帰りが早くなるw

 ほとんど会社からのイヤガラセみたいな感じで「抜擢」をされてしまう。

 会社組織における「抜擢」とは不思議なことに「ますます活躍できるステージを与えられる」ではない。

どちらかというと「活躍を制限させられるステージ」

 せっかくの高い生産性は一旦高止まりした後に漸減し、多くの「元」スターは管理職になった後「ふつーの人」となり、会社に埋没していきます。

 スター社員が、ますます突き抜けていくことがもっとも会社への貢献となるのにもかかわらず、それを望んでも受け入れられず、無用な育てゲーで疲弊していく。

 これは、その会社単体ではどうかわかりませんが、間違いなく「社会的損失」です。

 そういう光景を日常的に見ていればどうなるかといえば、結局誰もが無用な抜擢を避けるために生産性をあげようとはしない。

 「クビにならない程度に頑張ろう」というヤツですね。

 あるいは、たとえば野望を持っている、等の特殊事情により生産性の高い(高くなった)方々はその会社、あるいはこの業界に見切りをつけて去っていく。

 最初からIT業界は腰かけであると割り切っているのかもしれません。それはそれで、よいと思いますが...

 その会社から飛び出してしまえば新天地で活躍できるのでしょうが、もっともよくないと思うのは、生産性の高い方がまんまと懐柔されてしまうケース。

 その会社「だけ」で通用する人材に変貌させられてしまう... すなわち生産性は「並」へ逆戻り。

 せっかくセンスも才能(努力の才能)もあるのに、最終的には「クビにならない程度に頑張る」人たちと同じ組に入れられて、ラットレースをさせられてしまうのです。

 大変残念なことに、生産性が並のほうが会社という組織においては居心地がよいんですよね。そのヒエラルキーが強固であればあるほど。

生産性が高くても低くても居心地が悪いので、「並」に収斂していく。

 所与の才能はそれほど関係ないので、効率のよい努力を継続することにより、生産性や作業品質でもって現場で突出することは誰でもできるのです。

珍しくフォローしておくと(笑)それがこの業界のよいところではあります

 でも、そうするとソンすることばかり(丸投げ、尻ぬぐい、火消し、昇進という名の管理職への配置転換)。

 だから、この業界は変われないのです。

 この業界で慢性的に労働時間が長い原因も、そこですよね。

 よく言われる物言いを使わせてもらうならば、そもそも「適材適所じゃない」ということです。

 その原因は主にふたつあって、ひとつめは、会社側は自信をもって、適材適所だと思って人員を配置するが、それが笑ってしまうぐらい間違っている。

 もうひとつは、適所つまりポストがないんでしょうね。なぜポストがないかというと、キャリアパスがスタティックすぎる。旧態依然としすぎているということなんでしょう。

 IT業界、特に私のよく知っているインフラレイヤはずっとこの問題を抱えたままで、ドラスティックなカイゼンを先送りにしてきました。

 結果、生産性が並のサラリーマンSE(インフラなのでコーディングもできない)を大量に発生させ、やたら人海戦術&根性論でプロジェクトをまわすのが常態となり、足りないスキルセットについてはトンガった人材を外部から法外な単価で雇ったりしています(苦笑)。

出る杭を見守らず、手当たり次第打ち続けているがために気が付くと内部に人材がいないという...

◆結論

 これを読んでくださっている同業者の方は、ここまで書いていることに真新しさは感じないでしょう。たくさんの方がいろいろなところで指摘していることです。

 そして、指摘あるいは提案だけは喧しいのですが、ここ20年?ばかし、抜本的には何も変わっていないところでもあります。

 なぜ変わらないかについては前回書きましたが...

 このままだと、そろそろ泥船が沈んでいくように見えます。

 生産性が高い人間は、いなくなるかあるいは仕事がきわめてやりずらい環境になって生産性を下げざるを得なくなり、生産性の低いままの人間の仕事の多くはキカイにとられちゃうわけですから。

 ではどうすればよいか?

 それでも私は、こつこつと努力を積み重ねて生産性を上げていくことをお奨めしたいです。

 まぁいってみればコソ練ですね(笑)。

 ちょっと孤独になってみることです。

孤高?

 そして、生産性を上げた(上げてしまった)ならば...

 もっと思いっきり、自分のやりたい仕事を長時間好きなだけやれる環境、いわばマイブラックな環境を、つくってしまえばよいのです。

 IT技術者は根っからブラックなので(笑)やりたい仕事をずーっとやっていたいのです。

 そしてIT技術者がやりたい仕事をずーっとやっていればそれが「適材適所」なのですから、業界全体の生産性も上がっていくはずです。

 というかそれが自然な流れになってきます。これからの世の中は。

やっと!

 ただし、私が棲息しているインフラレイヤは、そういう流れになるのはずーっと先でしょうね。私はもはやこの世にはいないかもしれません(笑)。

 そういう環境、自分のやりたい仕事を好きなだけやれる環境を今現在、どうやってつくるのか?

 たとえば現在卓越した技術力があり、にも拘わらず、毎日言うこと聞かない、生産性低いSEの管理業務に忙殺されている方はどうすればよいのか?

 それは、この場の答えは「自分で考えましょう」ということですね(爆)。それを書いてしまったらつまらないでしょう(苦笑)。

 とにかくまずは飛び出すしかないでしょう。

 ポストは待っていれば与えられるものではなく、居心地のよいポストは自分で自分に準備するものである、という考え方に変わることですね。これこそがパラダイム・シフトです。

あー、やっと結論に着地した...(ホッ)

 別に会社をつくれといっているわけではありません。どこかの会社に自分にふさわしいポストがあるのであれば、転職してそこに落ち着けばいいわけですから。

 それでも今の環境から飛び出すのには変わりありません。そして能動的に自分にふさわしい場所を探さなければなりません。

 あるいは、今の会社の中でもできるかもしれませんよね。社運をかけたプロジェクトをふたつぐらい成功させれば、デキるメンバーを社内で引き抜いて好きな仕事させてもらえるかもしれません。

デキないメンバーをあてがわれるのではなく、自分でスカウトし、自分でチームをつくる!

 この、IT業界の積年の課題については、現在、パイオニアが苦労して新しいレールを敷いてくれているところですので(たぶん...)、あともう少ししたら、フォロワーはそのレールをたどっていけばよいだけになるかもしれませんね。

 それがあと何年、何十年かかるかはわかりません。スキームが抜本的に変わるのにどれぐらいかかるか?は、志も、生産性も高い方がどれだけ飛び出してきてくれるかにかかっています。

 多ければ多いほど、ドラスティックな変化は早い時期にやってくることでしょう。

願望実現の手法について

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これ、長すぎなんだけどw この粗削りさがなんか気になる

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えっと確か、願望実現の手法について書いていたと思います。例によって脱線しまくりですがちょっと戻しましょう。

◆おさらいと補足

 願望実現するために大事なことその1は、プロジェクト化することです。PMはもちろん自分です。基本的に独りプロジェクトです(苦笑)。

 SEはプロジェクト化さえすれば、そこから先、遂行していくは得意分野なような気がします。立案は、誰もやってくれないんですよ。仕事を自分でつくって、自分に渡す必要があるのです。

 自分の人生ですから、自分の願望実現というのは優先度はとても高いはずなんです。 なので、自分の人生で3本目の案件を出現させ、かつ優先して進めていくべきだと思います。

 「3本目」とは、まず1本目が家庭、2本目が仕事です、ざっくりいうと。3本目が今書いた、自分の願望実現。

 汎用的なことを書いているので「オレは独身で家族なんていねーよ 1本目はない!」みたいなツッコミはなしで。

 人生、「3本の矢」(?違うか…)で進めていくべきなのに、2本、あるいは1本だけで生きている方が多すぎなんですよね。

 プロジェクト化はしてないけれど、日々の運用はある。自分の願望実現の話ですが…

 日常のWantは毎日発生するじゃないですか。腹へったとか風呂入りたいとかそういうのから始まって。つまりカレンダー化されているTodoと突発のTodoがあり、後者は正常系と異常系(障害対応)に分けられると思います。

 そして前者は日次/週次/四半期/半期/年次… と分けられます。

 このうち突発Todo-正常系が、今書いている「願望実現」の最小単位です。つまり、計画も考えることもなく、”do”すれば実現できるということ。

 でも人生って課題管理、Todo管理だけで済まないんですよね。「すまない」というのは満足感という観点です。

 何か月後(あるいは何年後)にあれをしたい(あるいは「ああなっていたい」)からまずあれしてつぎにこれしてetc… みたいな感じの計画と実践がないと、なんというか人生に「ハリ」がないんですよね(笑)。

 人生の配分を、仕事0.6人月、家庭0.2人月、自分の通常運用0.2人月、に分けているのが一般的なビジネスマンだとすると、それを

 仕事0.4人月、家庭0.3人月、自分プロジェクト0.2人月、自分の通常運用0.1人月、ぐらいに変えていきましょう、ということです。

 でプロジェクト0.2人月もさらに、計画(考える)と実践に

 つまり、常に考える(計画する)ということです。なぜなら、まず、「考える」にはPDCAの”C”(Check)も含みますね。願望というのは常に生まれてくる(生むべき)からです。

 その1「プロジェクト化」がむっちゃ長くなってしまった…

 その2が「小損を取る」に関連するのですが、まあ誤解を恐れずにいってしまえば「人智の及ばないところを『ある程度』コントロールする」ということです。

 ひとつ例を挙げると、その1は、何がしたい!何がほしい!からああする、こうする、というアプローチであるのに対してその2は、その何がしたい何がほしいを決めるというか、あるいは修正(更新、アップデート)するというか…

 日々起こる偶然をウォッチするというか。ここで、以前書いた「ふっと目につくものをスルーせず、一旦意識する」「フックする」がつながってきます。

 実は、みもふたもないことをいうと、自分が人生において実現させたいこと、願望というのはまったく実現できないかもしれない。実現不可能なことに立ち向かって「少し」ムダな時間を浪費しているかもしれないのです。(いやそれも、最終的には役にはたつので「まったく」ムダな時間ではないのですが)

 それを、気づかせてくれ、自分の願望を修正するヒントが、実は日常には転がっていて、それは、偶然を装い、何かヘンな仮面をかぶってあらわれたりする。

 で、これが何かのさじぇすちょんであるということは、自分の意識のけっこう深いところではピーンときているのでこれを「すくいとってあげる」というか。

 その2で、ゴール(願望)がアップデートされると当然、計画修正を余儀なくされますので、自分プロジェクトは日々スタティックではありません。でもそれは、どこのシステム開発/構築プロジェクトも同じですね。

 そしてなるべく自分の工数を使わずに誰かがやってくれる(誰かの工数が消費される)のを待ちます。プロジェクトの末端(特に外注)はそういう人種の集まりですので、誰も拾わないボール(タスク)がどんどん増えてそれが火種になっていきます。

 システム開発、構築というのはなまじっか傍観していても人間の命にはかかわらないので(リアル工事現場とかと違って)、そういう意味でプロジェクトマネージメントの工数だけが膨大にふくれあがっていきます。

 ちょうどボールの話を書いたので野球にたとえると、外野のうしろのほうに玉拾いがたくさんいます。PMとPM補佐がバッテリー、キーマンがレギュラーポジション。

 玉拾いが外注パートナー

願望を「変形」させるというのは、その「願望」というのは、いったいどのような状況になったら「かなった」といえるのだろうか? と、マジメに考えてみることです。それは、いろいろな状況が考えられるのではなかろうか?ということ。プロ野球選手になりたいという願望がいまだにくすぶっているのであれば、それは本当か? と。他のアプローチがあるのではないか?と、考えることです。

 重要なのは”Plan”のフェーズの最初に「夢」を目標へ落とし込むことです。そうしないと何も始まりません。

 でも、夢を実現できない夢として墓場までとっておきたいのか知りませんが、笑ってしまうぐらい、その作業をやらない方が多いんですよね。

 最初の生々しい願望を実現可能な目標に落とし込むことができるのが「オトナ」ですし、そのプロセスが人生そのものなんですよ。

 このプロセスはプライベートでも同じです。というかプライベートこそこのプロセスを強化していかなければなりません。仕事でそれをやっているのであればどんどんブラッシュアップしてプライベートに適用していきましょう。

 これは推測なので間違っていたら指摘してください。iPhoneは、ジョブズの「夢」段階では、このギアはもっともっとスタイリッシュではなかったと思いますよ。はっきりいうと「ダサかった」はず。

 それが、”Plan”を経て目標として落とし込まれ、レビュー、共有され、死人が出るんじゃないかという勢いで開発がなされ、際限なくカイゼンされ、そして現実として結晶した、今まさに我々の眼前にある「これ」は、最初夢見ていたプロトタイプよりもスタイリッシュになっている。つまり、ありていにいえば「良くなっている」。

 iPhoneを夢見たのはたしかにジョブズと一部の取り巻きの手柄かもしれませんが、それをより良きものにしていったのは無名の、別な人間のはずです。

 あとは、時間です。

 夢を目標に落とし込み、そして共有する(「晒す」)というのはこういうメリットもあるんです。

 ふつーに"Plan"すれば、やることはみえてくるので、それを実践するだけです。

 実践するというのに抵抗がある人も、いるのかもしれません。もともと性格というか行動特性がアクティブじゃないというか… 確かにそういう方はいますが、そういう場合どうすればよいか? というと…

 "Plan"の品質を上げるしかないのですよね。つまり、よりTodoを具体的に、サルでもできるレベルまで落とし込まなければなりません。

 「近所の●●スーパーで●●社の●●を買う」とか、そのぐらいまで。

 ジョブズであれば世界中のワーカーを安く働かせることができるので、強行突破なのでしょうが、通常、PDCAにおける”P”で計画を立てるわけですが、「プロ野球選手になるためにどうするか」なんて企画は瞬殺ですよね。

 だって、人生って有限なんですよ? そんなことより、考えるべきこと、実現させるべきこと、優先度の高いことってたくさんあると思いませんか?

 と考えることも”Plan”です。Planの品質が高ければ、その後の人生で莫大な時間を浪費することがなくなります。

 (これも知らないだけですが)ジョブズと同じ時期にiPhoneちっくなギアを夢想したエンジニアは日本にいたのでしょうが、ことごとく”Plan”の段階で却下されていったのでしょう。でもそれは、正しい判断だったのではないでしょうか? 日本の土壌ではそもそもムリですからね。

 さて、ちょうどよいのでプロ野球選手ネタを続けますが、もし仮に、オトナの駄々っ子のごとくプロ野球選手になりたいという願望がくすぶり続けているのだとしたら、それは、実現させるべきことなのかもしれません。それほどの情熱を注げるのであれば。

 ですので、一見荒唐無稽と思われる願望を具体的に分解していくことです。

このたとえにおける分解の過程はすべて省略しますが、そういう願望はすべて「とんねるずのスポーツ王」手法で実現可能です。

 つまり、テレビに影響力のある芸能人になればいいということです。

 プロ野球選手になりたいというのは著名なスター選手と、野球専用のスタジアムで、カクテル光線を浴びながら、対決したいというのと同義なんです。

 だから、プロ野球選手になる必要はなくて、著名な芸能人になり、年一の冠番組を持ち、番組の予算で著名なアスリートと対決すればよいのです。

 そうすれば自尊心も満足できます。

 こういうアプローチもあるのだ、ということです。40代でプロ野球選手になれる可能性は「ゼロ」なので、”Plan”の時点で瞬殺ですが、40代から著名な芸能人になる可能性はゼロではありません。

 可能性が低いのは確かですが、ゼロではなくなったので、そこから死ぬ気で”Plan”を考えていくことです。本気なのであれば。

 さて、まっとうなプロジェクトであれば、”Plan”の過程で著名な芸能人になることも精査(却下)され、おそらく、一生に一度そういった番組の企画に応募して当選して、一般ピープルとして著名な野球選手と対決(ごっこ)をする、という方向性にしていきますね、私ならば。

 そういえば、なんかそういうCMありましたね…

 そのためには、マスコミの公募は当たらないので、いかにマスコミにコネをつくっていくかという”Plan”になっていきます。

 お祈りして当たるのを待つよりも、行動してコネをつくるほうが実現の可能性が上がります。

 オトナの、プロ野球選手になりたいという願望などは分解していけば一生に一度の思い出として、その方が子どもの頃のスター選手とスタジアムで対決さえできれば、それでもう「あがり」です。

 なぜかわかりますか? そういう人は絶対に、アスリートの日々の節制、努力、自己管理、などはこれっぽっちも思い描いていないのです。

 一般ピープルがそんなことをできるわけがないのです。

 夢だけで語っていると、夢の背後にある、それを維持するために「辛さ」からは自動的に目を背けるようになっています。

 何がほしいのか? 何を実現させたいのか? その規模が大きくなればなるほど難易度が高くなるので、”Plan”にかける工数も大きくなります。

 そして、実際のIT業界におけるプロジェクトと同じように、莫大な工数をかけても完遂できない(実現できない)ことも多々ありますよね。

 あるいは”Plan”のフェーズで「今のオレにゃムリだね」とあきらめることもあります。でも、どんな規模であっても、どんなに荒唐無稽であっても、死ぬほど「ほしい!」「実現させたい!」というのであれば、もう少し智恵が出てくるものです。

 ビジネスの成功本は、おおよそそういうストーリーで書かれていますね。あ、あと「プロジェクトX」もそうでした(笑)。

 多くの方が、この”Plan”をナメているというか… ビジネスではやってるのに個人レベルだとなぜかそれを適用せずに、「強く願ったらあとは『宇宙に放射』しておけばいいんです そうすれば実現されますから」みたいな甘い言葉にそそのかされたりするんですよね…不思議なことに。

 言い方を変えると自分の脳みそをナメている、あるいはそのパワーを知らない?

 智恵を「絞り出す」ときに出てくるアウトプットというか、それを現出させる脳のパワーって、すごいんですよ。

 以前、エンジニアライフで健康について書かせていただいていたときも、脳について言及したと思うんですが、極論するとエンジニアが健康でいなければならない理由というのは脳のパフォーマンスを最大にするためなんですよね。

 脳に最大限に働いてもらうために、睡眠時間は削っちゃいけないんです。そして睡眠の質を常に上げるためのカイゼンをしていかなければならないんです。

そして、デスクトップのモニターに向かってぶつぶつ言いながら仕事するだけでなく、「行動」することにより脳はますます活性化するんです。なぜなら、その行動をすることによる結果が必ず脳にフィードバックされるためで、いってみればそれも脳の「栄養分」のようなものなんです。

 その「行動」っていうのはなんでもいいんですが、たとえば有益なディスカッションなんかもそうですよね。

 真夜中に、セブンイレ●ンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなったら、ただ行き、そして買うだけです。

 個人の話にひきつけると、いろんな願望がありますよね。甘いものが食べたい、Just now!みたいなのから、もっと荒唐無稽な、不労所得を得て南の島で暮らしたい、みたいな?

 そういうのって、ぜんぶ、箇条書きにしてリストアップすると、横一列に並ぶんですよ。

プライベートの質を上げる

stevengerrard.hatenablog.com

プライベートの「質」をあげようとしか考えてなかったかもしんない。
ここ10年ぐらいは。

関係ないけど、ちょうどブログ始めて10年ぐらい。シンクロするかな?

「質を上げる」ってのはね、たぶん、リア充ってわけじゃないんだ。いや結果的にそうなるんならいいんだけどね。

何度も書いてるように、いかにして「生活習慣」の質と量を高めるかっていう。

「量」もなんだよ。生活習慣の「質」を高めるのは当然の話で。

良質なルーティンであるとオレが判断したら、どんどん増やす。1日10分以内ぐらいでしょ、増やすっつったって。増やすどころか、増やしまくる。
つまり、まずやってみる。
やってみて取捨選択する。

そうするとどうなるか。。これは、オレの紛れもない体験談だけど、
生活に「面白み」が出てくるんだわ。

ふつう逆だと思うでしょう?ルーティンを増やしていったら、生活がつまんなくなるって思うじゃない、なんとなく。でも違うんだな!(ここ大事)
この感覚は、やってみないと、わからんよ。

まぁひとつのソリューションとしてはね、趣味をルーティンにいれる。これ、大事。

わかりやすいたとえでいえばゴルフが趣味な人は、週一で打ちっぱなしをルーティンにいれてしまう!
それがキツいのであれば隔週か、たとえば第二第四日曜とかね。
とにかくルーティンにする!

楽しみなルーティンをつくり、最優先にするということ。
ほら、生活に「面白み」が出るでしょう。

趣味は最優先でルーティン化しないとだめだよ。

スポーツだったら試合、ゴルフだったらラウンドとかも、隔月でルーティン化したほうがいい、ゼッタイに!
気が向いたら、じゃダメなんだよ。

バカなヤツは、プライベートまで縛られたくないとかホザくんだろうが。。そういうバカはほうっておいて、次のステージにいこうぜ!ということなんだ。

楽しいことを生活習慣に組み込んで何が悪いか、と。


そしてルーティンはますます増やしつつ、カイゼンをする。そして、どうしても「合わない」と体の奥の「感じ」がいっているのであればそれに従い、切る。

切って切ってきりまくってもいいけど、かたほうでは増やして増やして増やしまくる。

ほら、体の細胞だっけ? 実はけっこう入れ替わってるとかいうじゃん。それと同じ。

オレのルーティンも10年前と比べたら変わったのなんの。。
だがしかし!1日24時間のうちルーティンに割く時間は間違いなく増えている。2倍ぐらいにはなっているだろう。
ルーティンが2倍になってオレの人生単調になったか? まったく!なっていない。2倍豊かになっている。そういうことなんだよ。

2倍豊かになったとはすなわち。。なんつったらいいのかなこう、「何者かになった」っていうことなんだよね。

ルーティンだけでほぼほぼ満足

ameblo.jp

俺、ルーティンだけでほぼほぼ人生満足だなあ。なんとなくこのまま老いていってもかまわないというか。

 

だってこの精度の高いルーティンの中に、喜怒哀楽のうちの喜・楽が入っちゃってるからなあ。

他の人たちってルーティンにこれらを入れ込んでないんだろうな。意識もしないだろうし。

 

ルーティンやる度に「怒」を意図的に発生させるバカが多いんだろう。なんでこんなことやらなきゃならないんだ!とか。

 

修行的につっまんねールーティンを自分に課しているのか、あるいはやらされているのか。

 

俺も自分のルーティンをやりながら怒りを感じる人生はイヤだけど、ちゃんと、取捨選択してきたからねえ。

 

俺のルーティンに怒・哀はいれてないけど(あたりまえ)、ほっといてもあっちからやってくんだから。

 

 

 

結論:日常である程度の満足感、幸福感を感じられない人間ってホント不幸だよね。

 

(略)

あ。。書いててわかったぞ。

キーワードは「アドヴェンチャー」からの「ワクワク感」なんだな。

 

俺の場合ルーティンに「アドヴェンチャー」までいれちゃってんのよ。

ルーティンにいれることって、可能なんだよ。

 

そしてルーティンにいれときゃ定期的にアドヴェンチャーがやってくるじゃない。

定期的にワクワク感がやってくることが約束されている。

そんな楽しい人生ってないよな(笑)