引き寄せの法則=真宗説
南無阿弥陀仏と唱えていれば救われるとか、強く思ったことは必ず実現するとか、どちらもものすごーくキビしい教えのはずなのに。。
努力もせず救われたいヤツらがむらがってくるわけだよ。
南無阿弥陀仏を信じ切って念じ続けなければ容赦なく救われないわけだし、強く思うことができなければなーんにも実現できないわけだろ。
そして凡人の人生なんてのは、起こってほしくないことばかり強く思っちゃったりするわけだ。「雑念」とでもいおうか。
まず雑念を追っ払うことなんて、できんの? 努力もせず救われたいヤツらに。
とっかかりというか、教えの間口が広いばっかりに、「裏切られた!」とかぬかす輩が多いんだろうなあ。
それこそが自業自得なのに。
イクメンの真価が問われるのは後になってからだぞ?
あのな、イクメンの真価が問われるのは、育児がひと段落してからだぞ?
具体的には、小学校中学年を過ぎたあたりからなんだぞ?
そのあたりから、地味~になってくるんだ、活動が。
パパが赤ちゃんのおむつ替えたりベビーカー押したりっていうビジュアルって、いかにもって感じでしょ?
でもな、はっきり言うけどその時期ってどう考えても母親が主役なんだぜ。母親がきばらんと、その時期の子供は不安定になる。しょうがねーじゃん事実なんだから。
その時期のパパは、ただのフォローだからな、育児の。そこで主役になってどうするっつーか。
そこから主役張ってたら後から息切れするぞ?
あのな、オレ昨今のイクメン(という言葉の)ブームはどうも違和感を感じるんだが。。(パパが育児に参加するという自体はすごくいいと思うんだが)
パパが飽きちゃうんじゃないか?みたいな懸念があるんだ。
なんつーのかな。。パパがね、家庭中心に、仕事オンリーにならず、具体的にいうと「早く帰ってくる」っていうのは、子どもが反抗期の頃にもっとも希求されるものなんだよ。
わかる? 子供がちっちゃいときに育児に没頭しちゃって、その反動で、いちばん大事な、子どもが反抗期の頃に仕事人間に舞い戻っちゃったら、その家庭はヤバいぞ?
父親がびしっと出張る時期ってのが、あるんだよ。そしてそれは幼児期じゃねえんだよ実は。
『夢』
夢を実現したいんだったら夢が必要なんですよ。わかりますか?
後者は夜の夢のほうです。
夢の実現のために、昼間に何かしら活動をするとしますわね。
で、寝る前に、夢の実現後の理想を描くわけさ。
今日も頑張りました、と。少し夢に近づきました、とね。
今日も頑張ったという満足感とね、夢が実現された状況を思い浮かべてね、ダブルで陶然とした状態で眠りにつくわけよ。
そうすれば夢、すなわち潜在意識がバトンをもらって、よろしくやってくれるから。
でね、夢(夜のね)の顕在意識へのフィードバックっていうのはいくつかの「アイディア」として、突然発現してくるから(予告なぞない)、それをメモをとるとかして掬い取らないといけない。
あるいはふらふら~っと、夢を実現するために必要なモノ、あるいは人のほうへ近づいていくかもしれない。つーか潜在意識が勝手にそうしてるのかもしれない。
それを、つかまえないと。
年収、生涯賃金は限られている
これからの世の中を生き抜くためには、限られた年収でいかに満足感、達成感、幸福感をゲットしてゆくか、なんだよ。
自分の年収から自分の器を知りなさい。自分の胸に手を当てて、本当に、自分の年収は自分の器にあってない、と思えるんだったらまず誠意をもって働きなさいよ。もっともっと。
自分のまわりをカイゼンしていきなさいよ。そうすりゃだんだんと自分の「器」自己申告に近い年収になっていくだろ。
ところで「ないものねだり」っていうのはね、満足感達成感幸福感をすべて!根こそぎもっていくから、サイテーの感情だっていうこと。
だからね、まず、いろんなところでいわれてるけど、まずは今の生活で(ある程度)満足である、幸せである、と思い込むことだ。
達成感はね、ある意味簡単っつーか、ちょっとだけ背伸びや努力すりゃ実現できそうな目標をおいて、実際に実現させていく。それの積み重ねでいいのよ。
という意味では満足感幸福感と達成感っていうのは両輪だな。どっちかが調子いいと、両輪が自然とまわってくよ。
子供がフリーターになったってべつにいーじゃない。
労働とは尊いものである、なんて建前を言い続けるんだったら、子供がフリーターになっても許容しなければならない。
自活せよと強制してはいけない。自活できないぐらいの給料で一生懸命働いて、尊い仕事をしてる人間はクサるほどいる。
自活せよっていうのはね、この21世紀では「うまく」あるいは「ズルく」生きよといってるのに等しいのではないか?
子どもがガキのころそんなふうに教えたか?
うまく、あるいはズルく生きるためにはそこに至るまでに何万、何十万という人間を蹴落とさなければならんのだ。そんな風に育ててないだろ自分の子供を。
ただし!ニートはぜったいに許さない。好きな仕事をしなさいといってるだけ。「楽な」仕事ではない。
「楽な」は安易に、「楽して儲ける」につながりやすい。
家族は家族全員の収入でひとつ屋根の下つつましくくらせばいいんだよ。それぞれが、尊い仕事をしているそれぞれを応援しながら、金銭的にも支援しあって、生きていけばいいんだよ。
勉強して、凡人になる。
学校の勉強一生懸命やるのはね、それはこの現代社会では「凡人」になるためなんだよ? わかる?
平々凡々とした人生を送るために、(学校の)勉強をするんです。
そのへん、子供にはよおく言って聞かせたほうがいい。
わかってると思うけど、平々凡々と生きるってのはホントウに、大変なことなんだよ。特に、「生き切る」というのは。
この「生き切る」一点のために勉強しなければならない、といっても過言ではない。
では、平々凡々と生きたくない場合どうしたらよいのか?
で、ほとんどのバカ者は、勉強しても凡人にしかなれないんだったら。。と
まんまと勉強やめちゃう。
だからバカ者なんだよ。勉強しない言い訳をまんまと自分でつくっちゃう。
昔、養老先生もいってたろ?「バカの壁」って。これがまさにそうだよ。
。。平々凡々と生きたくないんだったら2倍勉強するか、勉強と同じぐらい何かに打ち込むか、どっちかに決まってんだろ!
相当苦しい道を進まないと平々凡々からは抜けられねーんだよ!んなもん当たり前だろうが!!
それどころか、一生苦しいんだぜ? その道は。
かといって勉強やめれば下層に転落するだけ。キッツい世の中だよなあ。
でも生き切るしかねえんだって!
ただーし!
勉強をやめても、そのぽっかり空いたところに、何かを勉強の2倍打ち込む、でもいい。
そうすりゃその打ち込んだ領域が、自分の糧になり、下層には落ちない。
整理すると。
勉強1+熱中するもの1 で人一倍努力する →凡人を超える
熱中するもの2 で人一倍楽しんで、努力する →凡人を超えることはできないが凡人のまま生きられる
ってことだ。