元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

荒唐無稽な夢(はおかない)

荒唐無稽な夢

夢というのは無限に広まっていってしまうものです。

今の自分、以外の自分をすべて「夢」と規定してしまうこともできてしまいます。

でも、そんな規定をしてしまい、常に夢想していたら、人生やってられません。

夢とは、ふわふわと思い描くものではなく、きっちりと吟味すべきなのです。

まず、吟味して実現可能であると判断したものをひとつかふたつ、「ぽんっと」おいておきます。

そしてそれを実現するための計画をたてます。計画というのはそんなにきっちりとしておかなくともよいです。庶民であ

れば。

庶民になりたくないのであれば、何年何月に何をして、何年何月には実現させる、という具体的な「落とし込み」までし

ておく必要があります。

そして、実現可能な夢の「もう少し向こう」(同じベクトル)に、やや遠めな夢を、そしてさらに向こうに、相当遠めな夢を、

おいておきます。

それらは、それらの夢を思い描いているだけで楽しい、というものをおいておかなければなりません。

ひとつめの実現可能なほうがホントに実現に近づいてくれば、遠いほうも自然と近づいてくるわけで、その過程はどん

どん楽しくなってきます。

ひとつめがほぼ実現に近づいたら、ふたつめの夢を実現するための計画をたてます。そして、さらに遠いところにもう

ひとつ夢をおきます。

といった感じで、荒唐無稽な夢を白昼夢としてふわふわと描くのではなくて、段階的計画的に夢は「置いてゆく」べきで

す。

たとえば僕などは、僕の妄想をひもといてみれば、緒形拳さんのような俳優にもなりたいですし、一方で井深大さんの

ようなビジネスマンにもなりたい。

でもそんなことはムリです。

計画を立てられない夢は、切り捨てていったほうがよいのです。

夢を設定するには自身の才能を鑑みる必要があり、冷静なる自己分析も必須になってきます。そこから目を背けるヒ

トが多いようです。