元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「もっと汚れなさいよ」

「もっと汚れなさいよ」
少し前にフジテレビプロデューサーのブログに書かれていた、元安倍内閣をやや擁護する意見が未だに気になっていて。。

どういうハナシかというと、安倍総理辞任の際、街頭インタビューで「もうちょっと経験を積んでからのほうがよかったのではないか」という意見があったそうです。

でも、政治の世界で「経験を積む」というのは、「汚れる」ということだろう? と、このプロデューサーの方は書いていました。

(もっといろいろ書かれていましたが、要約するとこんなところです)

この意見はすごく、引っかかりました。賛成、反対の域を超えて。

自分にどう引っかかったか、というと。。

この「汚れる」というところが共通点だと思うのですが、街頭インタビューのこのヒトは、安倍元総理に対して「もっと汚れなさいよ」とダメ出ししているわけですよね。

私とは全くレベルが違うハナシなのですが、私はここ10年以上、何度も何度も、「もっと世の中を気にしなさい」的なことを言われてきたわけです。

それは、もしかしたら、安倍元総理に対する庶民の意見である「汚れなさいよ」とほとんど同じなのではないか、と。

「世の中を気にする」とは、テレビを見たり日経を読んだりすることです。(おそらく)

私はそれを「汚れる」ことだと確信している。10何年前から。

そこに絶対的な信念があるわけではないけど、なぜ、自分はそういう結論に至ったのだろう? というのは、自分のことながら興味はありますね。

ちなみに手前味噌ながら、自分は、この現実世界ではきわめて「人畜無害」な人間です。そうであるがゆえに、この日記に書き出す内容は、その反対にならざるを得ないのでしょう。バランスという意味で。

でも、この事実ですらも「典型的」ですよね。

元来、非常に「典型的」であったはずの自分なのですが、「世の中を気にする」ことを拒否し続けているのはどうやら「典型的」ではないらしい。

しかも、もともといろんなことが長続きしないはずの自分が、それについてはずっと、ある程度の信念を貫き通しているようにみえます。