仏教のみならず世界の宗教にはさまざまな大変意志力のいる禁欲主義的な行があるんですが、それをすること自体は素晴らしいことなんですけれども、 かえってそういう世界に入っていくことによって、エゴが膨らんでしまうというか、自我意識が膨張してしまう。それは心理学で「自我膨張」というん ですが、インフレーション―経済でも「インフレ」という言葉を遣いますが、神学にも「インフレ」という言葉がございまして、それは本当は自分を消 すため、自己を消していくための行なのに、反対に厳しい行をすることによってプライドが出てくる。自慢が出てくるというのは、これはまさに心理学 でいう自我膨張なんですね。ですから、私も長年
臨済宗の雲水として道場で
坐禅を組んでいた人間ですけれども、本来は行をすればするほど謙虚になら なければいかんのに、反対に俺は特殊な修行をしたんだ、と。普通の人がしないような行をしたんだ、という自慢が出てくる。そこにやはり宗教の恐さ というものがあります。
本当は無心になって、自分を消して、神・仏に近づいていかなければいかんのだけれども、反対に自分が大きく出てしまう、と。幻想のエゴが膨らんで しまう、という面があるんですよ。ですから、先ほどの
法然さんのお言葉、「いたずら事はする必要はない」というのは、とってもいいメッセージを現 代の我々にも送ってくださっている、と思いますよ。