元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

庶民と、報酬の高いヒトとの違い

自身が歳を取るにつれて考えますのは、

よく働いているヒトにはふさわしい報酬を与えるべき、ということ。

歳をとるにつれ嫉妬が消えてゆく、というか。。

よく働いているヒトが、ふさわしい報酬を得るというのは、ものすごくあたりまえのことなのですが。。
我々庶民・凡人の類は、報酬が高いという事実だけで嫉妬してしまう。

いや、報酬が高くて、サボっている人間に対する非難、嫉妬であれば、かまわないのです。
それこそが庶民のやるべき行動なのですから。
(確かに、そういうヒトもいます)

でも、それなりに質の高い労働・ビジネスをして、その結果として当然の報酬を受けとっている人間に対しては、尊敬の念を持つべきだと思います。

そこで「オレ(アタシ)だってこんなに一生懸命働いてるのに。。(なんで給料安いの?)」と思ってしまうヒトたちは、何か勘違いをしています。

報酬が高いヒトとそれなりのヒトとは、労働の質が違うのです。いえ、量も違うかもしれませんが。。
あるいは、過去にそうだったか。今、報酬が高いヒトは、過去にものすごく生産性高く、かつ時間もかけて働いた時期があり、そのときの結果で今、生きているのかもしれません。

また、もうひとつの勘違いは、カネという存在をゲットするために注力する方向が、庶民と報酬の高いヒトたちとはまったく違うのです。
報酬の高いヒトたちは、庶民とは比べ物にならないほどの執念でもって、「カネをゲットする」ということに集中する。

そして、それが継続するのです。たとえばちょっとブームだから株をやろうか、為替をやろうか、という、庶民にありがちな「覚悟のなさ」ではないのです。



どちらにしても、あまり気にしないことです。
「ヒトはヒト」
隣の芝生ばかりのぞかずに、そんな時間があったら自分の家の芝生の手入れをするのです。