豊かで、かつ精神的満足度が低い
こうありたいまたは反面教師
- 豊かで、かつ精神的満足度が低い
不健康に生きることがカッコいいとか、刹那的な生き方がカッコいい、とか、そういう価値観はもうとっくに崩壊しているはずなのです。
21世紀の日本は、もはやそういう時代ではない。
で、何が起こっているのかといえば、「不健康に生きる」なり刹那的なりが、個性ではなくなってきています。アタリマエになってきています。
世の中の多くのヒト(「庶民」)が、とっくに、不健康で刹那的になってしまっている。
生活の24時間化なりコンビニ・フードの普及というのはそういうことです。
というわけで、ムカシ誰かが預言していたとおり、日本人の平均寿命は少しずつ下がってゆくのでしょう。
そして、その反動として、「エコ」や「スローライフ」といった怪しげなライフスタイルが「個性」になってきているようです。
これは、はたして、誰の仕業なのだろう? 不健康、刹那的を庶民に浸透させようとし、まんまと成功して甘い汁を吸ったのは誰か?
僕は思うのですが、それまでの時代のカウンターカルチャーとして「がんばらなくとも いいんだよ」とか「楽しく生きれば それでよい」みたいな思想を拡げていったヒトたちが、一枚かんでいるに違いありません。
そういうヒトたちが今の日本の「元凶」になっているような気がしてなりません。
なぜ「元凶」とあえて断定しているかといえば、これほど物質的に豊かな社会になったにも関わらず、精神的満足度が異常に低いからです。
なぜ精神的満足度が異常に低いか? ということについては、この日記に断片的に書いていますが、その「ゆる〜い」考え方が蔓延してしまったのも一因としてあるに違いありません。
「結果」が出ていないのです。日本人の精神的満足度が、高くなっているのであれば誰も文句は言わない。
いわゆる「ゆとり教育」も、結果が出なかったゆえに文科省は大幅に舵を切ったのです。時計の針を逆方向へ戻したのです。
ですが、「ゆとり」を推進したのも庶民の空気ですし、「やっぱこりゃだめだ」と言い出したのも庶民です。
言うだけ言って結果には責任を取らず。。
「衆愚政治」とニッポンの政治が揶揄されてしまう原因もこういうところにあるのでしょう。
そしてもうひとつ、悪いことに、結果が出ていないどころか、「ゆとり」が進んだ結果として治安が悪くなったような気がするのです。
これは、マスコミが炊きつけてるのもあるのですが。。
治安が悪くなった(らしい)のが、我々庶民に対するイメージとしては致命的。
「がんばらなくとも いいんだよ」とか「楽しく生きれば それでよい」みたいな思想により、モラルのタガが外れて治安が悪くなってしまった、というふうに結びつけるのは、自然です。
そしてその「ゆとり」により、たとえば大学生の間に大麻が蔓延しているとか。。
麻薬とか「そっち方面」も、治安の悪化を加速させているかのような。
そしてその治安の悪化が、日本人の精神的満足度をますます下げてゆくという悪循環。
こういうところから、「昭和ノスタルジー」へのゆり戻しがきているわけですが、僕はこの日記に書き続けているとおり、安直に、今がダメだから昭和へ、と戻ってゆく考え方も好きではないのです。
昭和の、「融通の利かない」時代から平成の「がんばらなくとも いいんだよ」「楽しく生きれば それでよい」を過ぎ、このふたつの空気の時代を通過することによりさらによりよい時代になってゆくに違いない、と思っています。
そのへんは非常に楽観的です。なぜならば、人間は馬鹿ではないと思っているからです。