「役人」に対するアンビバレントな感情 岸田理論
本来の日記部分
久しぶりに「寝坊」をしたのですが、睡眠時間をある程度確保できて頭がスッキリした代償として、朝にやるべきことがたまっていたので、それをこなすことができず、とてもストレスになってしまいました。
いや、ちょっと違うかな。。
「やるべきこと」とは日課であって、それは、寝坊はしたけれど猛スピードでなんとかこなしました。で、それをいつものようにゆったりとやれなかったという事実もストレスの要因としてある、と。
それと、朝の「考える時間」を確保できないというのがもっともストレスなんでしょうね。ということは「考える」こと自体が日課なのかな。。 ぼーっと考えて、思いついたことをこういうふうに書き出してゆくのも、その一連の流れが日課なのかもしれません。
なんだかよくわからなくなってきました。。
最近の年金問題の話の流れを、あえて情報を遮断した状態で(漏れ伝わってくる情報だけで)判断すると、
ムカシから我々庶民の側にある、「役人」に対するアンビバレントな感情の理由がわかるような気がします。
(「役人」というのはキャリア以外の公務員のことです)
さんざん、「アイツらは仕事をしない」といいながら「でもうらやましい」と思ってきたわけですよね。自分の親も、そうでした。
ロクに仕事もしないのに(実際どうなのか、はまた別のハナシで)安定していて、将来は庶民からみれば莫大な退職金をもらえることが約束され、今、旬な話題である年金もしっかりしている。
文句をいいながら、自分のコドモたちには「公務員になれ」といい続けてきた。
文句をいいながら、コドモに「ああはなるな」と断言できた親がどれぐらいいたのでしょうか?
たとえば区役所に行ったときに、窓口の向こう側にいるヒトたちを見ると、「モラトリアム」。。 というコトバがアタマをよぎるのはなぜなのでしょう。
- 体調
以前より続いていた指の痛みが少しやわらいできたので、絆創膏を外しました。
- 仕事
サイドビジネス(?)順調
抜粋・紹介
- 作者: 岸田秀,山本七平
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岸田理論による神経症治療、すなわち幻想の言語化、相対化、を日本人は行わない、と。。
たとえば、楽しくない、生きがいを感じられない、つまんない、というときになぜそうなのか、どうすればその状況から脱出できるのか、それらを書き出して(言語化)相対化することをしない。
いつも自分探しをしているから、自分と向き合うことができない。「自分」は他の何処にもなく、今、ここにしかない。
自分と向き合わないのは、自分と向き合わずに不満をいっているほうがまだ楽だからですね。
神経症とまではいかなくとも、ノーマルな状態で世の中(「幻想」の)に対して不満を抱えているときにその相対化を行うクセがついていないのですから、神経症になってしまってからもできるわけがありません。