元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

村上春樹さんの本を読んで痛快だった話。

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自分は長編を、書きたくなったら書く、と。
誰にオーダーされるわけでもない。

長編を書く準備からひと段落して編集者を呼ぶまで、基本的に他の仕事はしない。受けない。
翻訳は例外。翻訳はまったく脳の別なところを使うので支障なし。

ただしその翻訳の仕事は締切がないことが前提。

長編を書くときでも1日10枚と決めている。筆が乗っているときもそう。乗らないときも10枚までは搾り出すと。

という話の流れで、ところで同業者の方からは、その間の生活をどうすんだ、いろいろ仕事受けていかないと生活できないだろ、という意見があるかもしれませんが。。。という話になり。
確かにそれは俺も気になるところだが。。

でそれに対する回答がね。


自分、職業小説家になると決めてからずっとそうですけどぉ?と。
つまり(そう書いてはいないが)それが小説家としてのありかたでしょう、と。

ノルウェイの森が売れたから、カネが潤沢に手に入るようになったから、そういうふうに好きなことしてられんだろ、と言われるらしいのだが、売れる前からそうしてましたよー、貯金切り崩してましたけどそれが当然だと思ってましたから、と。

職業小説家として。

で、周りがうぜえから、日本にいるといろいろ仕事頼まれたり面倒だから、長編は海外で書くことがほとんどです、海外は仕事はかどりますよー、と。
でそれもノルウェイの森が売れる前からそうしてますよーと。


。。この話、痛快だと思いませんか。
とにかく、覚悟が違う。カンゼンに退路を立って勝負をかけている。しかも、ある程度の勝算ありーの。

リスクをとって、大魚を釣り上げたってことだよ。
で、「職業小説家」として生きていくイコールそのリスクをとるのが当然だと思ってたってところが、大物なんだよね。。

長編(自分のいちばんの得意分野、差別化できるフィールド)に限っては、誰からもオーダーをうけず、やりたくなったらやる、と。
でそれが必ず何百万部売れる「仕組み」になってるんだからこの国の村上春樹さんを取り巻く状況ってのは、すごいね。