元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

相対的理論w

ameblo.jp

なぜ生命が生まれたか、とか。。
ビッグバンとか? 太陽が何億年前にできて地球は云々とか。。

あのね、「億年」なんていわれてもわっかんねーよ(笑)
オレは今この時代しか生きてないし。

でもね、実をいうと(笑)オレさ、そういう壮大な問いの「解」を知ってるよ(あっさり)。

教えてあげようか(笑)。そんなに知りたいんなら。。


まあありていにいえばすべて「妄想」なんですよ。

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まあまあ、とりあえず最後まで聞けって(苦笑)

つまり。。まず、世の中は実は相対的なもんだってのは、人類も智慧がついてきてるし、オレら庶民であってもうっすらわかるようになってきたと思われるのね。
庶民でも「相対的」の意味わかってきてるでしょ、だんだんと。

だから、それを突き詰めて考えりゃいいのよ。

たとえば。。荒れ狂う日本海とかにいってさ(笑)、そのへんに岩があります、と。岩をさわったらごつごつしています、と。そうするととうぜんその触ったヒトはその世界をリアルだと思うじゃん? だって、「触覚」で感じたからねえ。自分が触って、感じた、っていう事実は大事にしたいでしょ。

それを言下に「妄想だ!」っていったら、反発喰らうよね。だから、言下にはいわない。やんわりとはいうけど。

自分のほっぺたをさわったらほっぺたらしき物体がありました、と。でも実物は(たぶん)見たことないでしょ。でも鏡をみるたびに自分のほっぺたってあるし、手で触ると「あることを感じる」し、そりゃ存在を信じるっきゃないよねえ。
「ほっぺ有り、故に我有」みたいな?

でも、このオレが飛行機とかに乗って行って「ない」世界、「触ってない世界」は、オレにとってはリアルではない。テレビでよくみるじゃん、っていうかもしれないけど、テレビがなんだっつーの? テレビがそんなにエラいのか?

オレにとっては、テレビの向こう側のニュース映像と、むかしけっこう流行った「セカンド・ライフ」の向こう側ってほぼ等価だから。

もう一度聞くが、テレビの向こう側の二度といかないであろう外国と「セカンド・ライフ」と、「オレにとって」何が違うっての?


さてここからまた重要な話だが、たとえばオレの友人はヨーロッパに留学したことがある。オレはそれに対して「ヨーロッパなぞ妄想だ」などというわけがないだろう。そんなこと言い出すヤツはバカ、というかガイキチだよね。そのヒトは、飛行機に乗ってヨーロッパにいき、ヨーロッパを「触って」感じてきた。だからそのヒトにとってヨーロッパはリアルだ。
でもオレにとってはリアルではない。以上。

「違いをみとめろよ」ってことだよ。この言葉っていろんなところでいわれてるじゃん。

オレにとってヨーロッパはリアルではないが、ヨーロッパにいったそのヒトがまったく!知らない東京の下町の路地裏とかは、オレにとってはリアルだ。
「規模」の違いじゃないんだよ。そのヒトは間違いなく東京の下町の路地裏なぞ一生縁がない。オレはヨーロッパにはおそらく一生縁がない。「違いをみとめろよ」ってこと。
そこには優劣すらもない。

ヒトの人生は生まれた瞬間から相対的。いってみりゃほとんどパラレル。そしてたま~にまじりあうだけなんだよ。知ってた?
けっこう近しいのはまあ、双子とかね。あとはまあ、同じ屋根の下に住んでれば、家族も近いっちゃ近い。でも完全に同じであるわけがない。
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オレがリアルであると感じているワールドも、あのヒトのワールドも、メタレベルでいえばぜーんぶ妄想にすぎないわけ。

オレ天動説だのビッグバンだの学問として習って知識としては入ってるけど、正直「知らんがな」って感じなんだよ。


あのー、たとえれば、まあ以前流行ったセカンドライフもそうだし、20世紀の終わりころ昼休みにやってた、あのなんだっけ、doom?みたいな、なんていうかな、プログラミングはされてんだけどユーザの自由度が高いっての? 箱庭の中で自由に動く。相手も動いている。相対的に。そして出会う。対決する。あの世界の中で。

マリオカートもそうだよね。

つまりあんな感じなんですよ世の中なんて。そして重要なのは、だれもプログラミングしてないの。神がプログラミングしたに違いないと「考えたい」ヤツはいるんだろうけど、「誰か」がこんなワールドプログラミングできるわけないじゃん。めいめいが勝手に妄想してるんだよ。その集合体にすぎない。

誰かと誰かのワールドは、たまにかぶる。オレがシブヤのスクランブル交差点にいくと、たくさんのヒトとすれちがう。その瞬間、そのヒトとオレのワールドは交錯する、けど、そこでおしまい。あとは一生会わない。会う必然もない。

誰もつかさどってはいないし、個々がつかさどってるともいえる。そのぐらいのあいまいさでいーじゃん、って話なのよ。そのあたりでふわっと理解しとけばいいじゃん。なんでそのメタレベルで腹落ちできないの? って。そのへんが「器」だと思ってんだよねオレは。

ガラパゴス諸島で独自に生きていた生命体は、人間が見つけなければそのままだった。つまり、いないも同然だったのよ。人間にとっては。
でもその生命体にとっては世界は「在る」わね。地球の裏側で生きて、死んでいく生命体をオレは否定はしない。でもオレのワールドの中にはない。オレの脳内に知識としてはあるけどね。
そういうこと。
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あとさあ、自分がみてる夢ってあるじゃん。あれってオレにとってはかなりリアルなんだけど!
そう思わない?

いくつか例をひいた、たとえばスウェーデンの片田舎から一歩も出たことはない、が、テレビを通じて世界情勢はよく知ってます、みたいなおばあちゃんがいたとして、そのヒトの存在はオレにとってまったく!リアルではないが、オレが夢の中で経験するはちゃめちゃな経験はオレにとって「ほぼほぼ」リアルなんだよ。

わっかるかな~
「近さ」でいえばね。スウェーデンの片田舎に住んでいてオレとは一生会わないおばあさんよりも、夢の中でオレの友だち役になっている父親のほうがリアルに近いってこと。

後者はホントに、ありえない話か? もっとアタマを柔軟にして、考えてみたら?っていう話。つーかね、夢をみるってことはそれを突き付けられてるってことなんだよ。

ただ、「ほぼほぼ」リアルだといってるだけどリアルリアル(笑)とはいってない。逆に、同時代にこの地球に生きてる(らしい)からといってスウェーデンのおばあちゃんが「リアルリアル」かといったら、そうは問屋がおろさんぞ、と。


あのー、人間が死んだら、魂だけ抜けて、その魂は永久に生き延びるっていう考え方があるじゃん。オレはね、そういうのに対してふわっと腹落ちしてるわけ。「そんなことあるもんか!」と否定もしないしね。そんなことも、このホール(Whole)ワールドではすべてありうるよね~、ぐらいの腹落ちね。

魂がほぼ永久に生き延びるとしたならば、その魂は膨大な記憶をもってるわけでしょ。それこそ生命体として誕生してからすべての記憶。

で、オレの解釈を加えると、その魂とやらは「未来の記憶」もすでに持ってるわけさ。

なぜかわかる?「そいつら」には時間の概念なぞないから。膨大にもっている記憶に対してこれは過去、これは未来とかいう考え方をしない。というか、できない。そういう縛りがあるのは人間だけだからね。
(腹落ちしなかったらついてこなくてもいいけど)
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もうひとつ、仏教でいうと阿頼耶識みたいな、記憶の源泉ってのがあるらしいじゃない。つまり「魂」っていうのはそれぞれのローカルのメモリに自分の記憶を蓄積してるんじゃなくて、それはどんどん源泉に流れ込むわけね。今ふうにいえば「ビッグデータ」がすでに何千万年?何億年?分蓄積してるわけだ。

その考え方にひきつけていうと、それぞれがみている”eye”は違うんだけど、eyeを通して得た情報はみな源泉に流れ込むし、生活の大部分では自身がもってる「キャッシュ」で対応可能なんだけども、どうしても源泉から「ひっぱってくる」こともあるよね。夢なんてのは源泉からひっぱってきて、意識上の自分に何等かの警告?なりインフォメーションを与えてるわけで。

つまり何が言いたいかというと双方向だってことね。記憶が膨大に蓄積されていくだけじゃなくて、そのビッグデータからオレたち(ニアリイコールで「魂たち」)は引っ張ってくることも多々ある。

だから、みんな「仲間」じゃん? ルーツは同じじゃん? ということを言いたいの。いちばん最初に書いたすべては妄想、っていう話と、つながった?

その源泉はなぜ存在するの? とかそういう疑問はもはや愚問で、たとえば宇宙は在るものでありいつできたかとか考えるのは時間軸に一生縛られ続ける人間だけなんだよ。記憶の源泉、ビッグデータも、ずっと在る。
在ることになぜ疑問を持たなければいけない? ってこと。

さっきね、ちょっとだけキャッシュの話したけど、ほとんどキャッシュ、つまり個々の魂のローカルで処理しちゃって、記憶の源泉に落ちてこない「経験」ってのも、たくさんあるんだと思うよ。だから、それぞれの人生は、違うんだよ。でも、ルーツは同じ。


まあ、「神」みたいな存在をね、設定したければすりゃいいと思うのよ。腹落ちできないんならね。神っていうのはまあ万物の創造主とでもしておこうか。

いないけどね!(爆 人間の限界として、まるで人間的な何かしか想像できないじゃない。「創造主」って。人間に似た神は絶対にいない。誰にも、このワールドをコントロールすることはできない。「誰」っていう言葉をつかってる時点で限界w