元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

本物の坊さんは太る(?) 2011年09月

stevengerrard.hatenablog.com

おそらくうまくまとめられないと思いますが、こういう考え方もあるのではないか? ということを書きます。

禅寺の暮らしのイメージは、まず「質素」です。本格的なところでは野菜などは自給自足。食事は精進料理というやつですね。

ところが、托鉢を生業としている坊主は(そういう人が現存しているのかどうかはわかりませんが)食事の選択肢がありません。施されたものを食べるしかない。

腐り気味であっても「有り難い」と拝んで食べる。

ということは、カネ持ちが多く住む地域で托鉢をしているとどうなるか? 高カロリーの肉とか、甘いお菓子の残りとか、ガンガン施されますよね。コンビニ弁当の残りとか。

仏道の修行が、もっとも厳しいところまでくると逆に高カロリーになる。栄養満点になる。ただし、栄養はかなり偏ります。

栄養が偏って体調不良になるのが「修行」であり「業」。現代社会のゆがみ、ひずみをすべて受け取るかたちです。

それに比べて禅寺の質素な精進料理など、人間にとってはきわめて健康的な食生活であり、逆にぜいたくきわまりない、といえるかもしれません。

そういうことなのです。