元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

思うだけでどーせいかない

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がっつりね、砂場に座ってぼーと海を見ているというわけじゃなくて、ホント、とおりすぎるぐらいだけどね。
お台場であっても「海」を十二分に味わうことはできるよ。

その毎週の「プチ」海体験により、オレは「海をみたい。。」とかっつって大海原に逃避する願望はまったく発現せずに済んでいる、ような気がする。

海をみたい。。って毎週海は見てるっつーの。それが「大海原」じゃないからなんだっての。海は海。


でね、オレは年がら年中散歩していて、東京のさまざまな風景の移り変わりを、昔も今もリアルタイムでみているから(たぶんそれゆえに)、別に旅に出たいとも思わない。
大がかりな旅行は何度かしたことはあるがそれはすべて家内のご機嫌とり(苦笑
ま、それと、家族は年に1、2回田舎に帰省するからねえ。。(オレは同行しない)

パンピーってのはひんぱんに「海を見に行く」(独りで)とか「旅行」とかできないし、そんなに頻繁にするもんじゃないでしょ。

だからさ、そもそもできないんだからできない事実に腹を立ててもしょうがないっつーか、アホくさ。
オレみたいに、週に一度海をチラ見しにいくとか散歩でプチストレス発散するとか、何かしらの抑止する手段を持っとけばいいの。

極端いうと、それを考えるためにみんな、脳みそ持ってんでしょ?って思うよ。そういうプチ代替手段を持つのは人間の、人生の「戦略」だぜ?
なんでもかんでも、くだらない妄想癖をもつオレたちの願望は実現できるわきゃねえんだよ。現実の範囲でなんとかするのが人間だし、脳みそはそのために使うもんだ。

現実の範囲ならば、たとえば3年に一度とか5年に一度海外旅行にいくんだって可能でしょ? それも、家族で考えなきゃ。計画して。
家族で知恵出し合って。

人間ね、住む場所にこだわるべきだよ。住む場所にこだわらず旅行で気をまぎらすってのは、間違ってる。
住む場所ってのはね、家そのものにこだわるでもより、ロケーションにこだわるでもよし、とにかく、日常が基本的に気持ちいいということ。


あ!そういうふうに結論づけたいんじゃなかったんだ。
あのね、この話の面白いところはね。

たとえばね、「あー、独りで海にでもいきたい」とかいつもグチいって仕事してるヤツってたぶん独りでは海にいけない。一生。
オレは、(実は独りで海にいきたいとも思わんのだが)独りで海にいきたいとかグチもこぼさず、毎週海をチラ見してプチ発散している。
そういうふうにうまく生きてると、実はオレのほうにその「独りで海を見る」というチャンスはめぐってくるんだなこれが。
不思議なことに。