元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

通じてるということ

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河合隼雄
これもよく言う例ですけど、ばっと感激したらだめなんですよね。高校生の難しい子だから、なかなか上手に話ができないんですよ。すぐ黙ってしまって。ほとんど会話がなくて、これは僕の力ではだめや、思うてね。心に届いていないように思って、不安になって、「来週来られますか」とたずねたら、にこっとして「はい」と言うんですよ。じゃあお待ちしてますと言って帰したら、お母さんから電話があって、ずっと学校行ってなくて、ものすごう沈んだ顔してましたけど、今日は明るい顔をして帰ってきました、って。お母さんはびっくりして、「あんた今日どんな人に会ってきたん?」と聞いたら、「すっごいいい人に会った。高校生の気持ちをあんなにわかる人はいない」って。内容的には何も言ってないんですよ。でも本人のなかではそういう体験をしている。高校生でうまく言葉にできないから、「この人は下手に心の中には侵入してこない」というふうには言えないからね、わかってもろたと言ってる。別にわかったわけじゃないんですけどね。それが通じているということが、ものすごく面白い。
鷲田
通じてるということ自体、どうしてわかるんですか。
河合
そういう人こそ、すごく勘が鋭いんですよ。たとえば、腰が痛かったら、立ち上がるという動作がすごくよくわかるでしょう。どんなに腰を使っているかということが。腰が痛くなかったらわからないですよね。それと同じことで、痛みのある人はすごい鋭敏にわかるんですよね。それがまた我々の一つの安心感なんです。通じるはずだというのがあるから、こっちもやってられる。
鷲田
感情移入とか、気持ちが伝染するとか共鳴するとか共感するとかいいますけど、それは言葉の問題なんですか、それとも身体の問題?
河合
言葉のレベルはもう超えてますね。高校生で、学校に行ってないことぐらいしか喋ってないですから。それ以上何も言ってませんから。僕は苦しいですとは絶対言わないですからね、そんな子は。だから、僕が学校に行かない苦しみをわかってくれたなんて言えるはずがない。だけどその人の体験としては、ものすごくよくわかる人に会うてきたと思ってるわけ。それは言語表現以前のコミュニケーションとか、関係とかといわざるを得ないんじゃないでしょうか。僕らにとってはそれはすごい大事だと思います。
(略)
犬は言語を持ってないから、ぱっとみてどっちが強いとか、匂いとか、ありますね。僕は人間もそれ持ってると思うんです。ものすごく退化してるけど。僕ら臨床家はその能力をフル回転させないとだめなんじゃないか。動物的な勘みたいなところに頼る。それは訓練によって相当できるんじゃないかというのが、僕の考え方です。
鷲田
具体的にはどういうことですか。
河合
やっぱり患者さんに会うことですね。会って、しょっちゅう反省してるわけですよ。一回一回勝負ですからね。たとえば、来られた方に「今日でお会いするのが終わりです。最後のご挨拶に来ました」と言われたとき、それは本当に覚悟してきたのか、そういうふうに言っておられるだけなのか、それを読むのは勘しかないわけです。勘で賭けていくしかない。それは僕は磨かれると思っているわけですよ。
鷲田
相当なリスクを。
河合
そう、相当なリスクを抱え込みながら、見ていかないと仕方ないわけで、それでもし失敗したら大変なことになるわけですね。ちょっと本にも書いてますけど、僕がまだユング研究所で駆け出しの頃、スイス人と会ってて、その人が自殺未遂をするんですよ。(略)ものすごいビックリして、僕のスーパーバイザー、指導者のところに行ったんです。その人は普通はそんなことしないんだけど、自殺未遂されて危ないから、自分が直接会うと。直接会ったスーパーバイザーに「どういうふうに言われましたか」と聞いたら、「あなたは自殺するということはすごいことだと思っているようだけれど、自殺なんて人間の歴史始まって以来いくらでもある。なにも不思議なことでも、勇気のある人がするわけでもなんでもない。ただし、今されると河合が迷惑するから、河合と縁を切って関係ないことにしてからやってくれ」と。で、どうぞおかえりください、といった。絶対死なないという確信あるわけでしょう。それで死んだら大失敗だけど。それ聞いて、「いいこと聞いた。誰か自殺したいという人に言うたろ」思うてたら、絶対だめですよ。それはその人の、そのときその場だけの真実でなければだめでしょう。だからそういう、賭けなわけですね。そういう言い方で、こっちも賭けてるぞというのがわかるわけですね。(略)その、のるかそるかいうところって、わかるでしょう。勘だけかというと、そうでもないですよね。経験もあるし、理論もあるわけでしょう。