元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

信ずるからあるのです

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本当の宗教の体験の上から云うと、阿弥陀さんは、あるから信じるのではなくして、信ずるからあるのです。信ずることが出来るから在るのです。その絶対の受動性の中に這入ってくるから信ずるのです。受動性のものに動的性格が出てくるから、そこに一種の信なるものが出るのです。そうでなくて、 単に理論の上からのみ詮議立して、そういうものがなければならないから、信ずるというのでは、真の信ではないのです。それは知識という範囲をはなれぬのです。