元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「もったいない」と断捨離のはざまで

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以前何かに書きましたが、確かに僕の上の世代は「もったいない」となんでも残しておく風潮はありました。
でもそれは、家にモノが少なかったから実現できた話で。

僕の新時代(?)の解釈は、「工業製品」(製造される工程で「血が通ってない」モノ)はどんどん捨てるべきである、と。
ということは、昔は「工業製品」が少なかったということもいえますよね。

そして、現実問題、「工業製品」のほうが安いですから捨てやすい。「一生もの」とかいって買ったものの多くは一点ものだったりしますから、ふつう捨てませんよね。

でも「断捨離」ブームとかいうやつは、そこすらも超えてゆけ、ということです。そのモノの価値(および価格)で判断するのではなくて自分にとって必要か必要でないかで判断せよ、と。自分の心に耳を澄ませて、正直なところで。
それは「もったいない」も超えてゆけといっている。ので、新時代ですよね。成熟した時代の考え方。


さて今日の本題は。。先日、差し出すことについて書いたのですが。
何かを「差し出す」覚悟がないと、金でもなんでも、得ることはできないのです。

で、我々が差し出すことのできるもっとも重要でかつ一般的なのは「労働」だと。
それはそうなのですが、「捨てる」のも一種の覚悟なのですよね。

そういえば、捨てなければ得ることはできない、というのはよくいわれることでした。
いつまでもとっておいても次のステップにはいけない、と。

ということは、それは、「もったいない」思想とは完全に対立するもの。。

なんでもかんでもとっておいた我々のおばあちゃん世代は、不幸だったのでしょうかね?
必ずしも、そうではないとは思いますが。。
おばあちゃん世代は、「そこ」にとどまることを無意識のうちに選択していたのでしょうかねえ。

というかそれは「時代」のひとことで片付けられるものなのでしょうか。
むずかしい。