元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

コミュニケーション(基本)

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この業界でちょっと「わかりはじめた」といいますか、Nextステップにのぼっていこうという方々は必ず、コミュニケーションに苦労することになります。それは必ず経なければならない通過儀礼です。

ありていにいえばたとえばプロジェクトリーダになって、メンバーがいうことを聞かないとか、外注下請けの類がこちらの要件や仕様を理解せずバグ出しまくりとか。。

おおよそ、苦労する(ぶちキレる)ポイントは以下の3つ

自分はなんにも悪くないのに、他人の凡ミスためにお客さんに謝らなければならない

外注の茶髪のすぐサボる若手に『仕事とはなにか』を一から説明しなければならない

自分より能力が劣る人間に仕事を任せなければならない


若いヤツらはなんで受け身で仕事するんだ!と(自分も若いのに)憤慨して飲み屋でくだを巻くようになります。

結果としてこの業界がイヤになって脱出した人も多々いらっしゃいます。コミュニケーションに苦労した結果をしてコミュニケーションスキルを教える会社を興したりとか。

それはそれで、その判断は尊重されなければならないと思います。「Nextステップ」を別な業界に求めるかこの業界に求めるかの違いだけです。

コミュニケーションの問題に対して解決方法があるわけではないのです。ただただ、「そういう経験は、しなければならない」と。現状から上を目指そうとする方は、避けてはとおれません。


ただ。。考えなければいけないのは、苦労をする(苦労をさせられる)ということは、若い自分に誰かに苦労をかけたことはなかったか? ということ。それは、思い出さなければなりません。(ある種の「礼儀」として)今苦労しているのは当然の報いなのかもしれないのです。

自分が相手に何をしたか? そしてホントウはどうすべきだったか? を分析することで、現状の突破口がひらけることがあります。

「コミュニケーション」に関してはふたつほどじっくり書きたいことがあって。。

まずひとつは、(この業界の方々があまり好きじゃなさそうな)「思いやり」周辺のことです。(もうひとつについては後日書こうと思います)

極論すれば指示待ち人間「しかいない」現場において自分もどっぷり「待ち」モードに入っていませんか?と。報告せよと一文をメールで済ませて(楽をして)「なんで報告にこねえんだよ!」と一人憤慨するのは、不毛そのものです。

指示待ち人間に対しては指示をしてあげればよいのです。それが、「コミュニケーション」そのもの。

誰もがボールをひろおうとしない現場において、ちょっとした「思いやり」が、空気を「雪解け」にもっていってしまうことがあるのです。「思いやり」とはただ思うのではなく「声かけ」というかたちで実践されなければなりません。「どうしたの? 何か問題でも?」と聞いてあげると、何かしらのレスポンスが返ってきます。(ただし、そのレスポンスは自分にとっては不快なことがほとんどです 「●●のせいで」「世の中が悪い」「オマエが悪い」等のオン・パレード)

それに対して「指示」をしてあげればいい。あれやれ、これやれ口調ではなく「それならこうすればいいんじゃないか というかこうしてくれるとボクは助かるんだけどな!」とか。


それと、ほめるのも「思いやり」の一環ですし、それそのものもコミュニケーションなわけです。

「ほめる」という言葉が悪いのかもしれないですね。まるでオトナが子どもに上からなでなでしてあげてるみたいで。。もっとオトナっぽくいえば「正当に評価してあげる」ということです。Facebookよろしく、こまめに「いいね!」「いいね!」を連発してあげることができれば、少なくともコミュニケーションがないとはいえないのではないでしょうかね、その現場は。


強引にまとめれば、「Nextステップにのぼっていこうという方々」というのは、コミュニケーションでもなんでも、自分からブレイクスルーをつくりだしていかなければならないということです。

そして、「ああ、仕事っていうのは待つだけじゃなくて自分から行かなきゃダメなんだな」と気付くこと。

気付いたもん勝ちです。