元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

憤慨する身体

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たとえば、新潟地震においては、上空を旋回する報道ヘリがあまりにうるさくて、街中に設置されているスピーカーから流れる住民へのアナウンスが聞 こえない、ということがあったといいます。

そして、ヘリが何台も旋回すると、住民の不安を煽るのです。ヘリが夜、旋回しているときの不安感というのは、自分も経験があるのでわかります。

被災地においては、情報は極端にアナログ化されますから、たとえば避難場所(体育館)の掲示板に貼られる「紙」であるとか、街のスピーカーから流 れる「声」であるとか、そういうものがきわめて大事になってくるわけです。

マスコミというのは、そういうところにずけずけと立ち入って、報道のためという名目で迷惑かえりみず取材する。

そして、ぶんぶんヘリを飛ばして、きわめて「細く」なっている情報伝達手段(被災民の「命綱」ですよ)すらも結果的に遮断する。

スクープ映像を飛ばすためならば、なんだってやるわけです。

そしてその映像を我々はお茶の間で「たいへんだねー」と言いながら、安全圏での物言いをする。

なんだかイヤになってしまったんですよね。。そういうのに。

庶民の迷惑かえりみないマスコミもイヤですし、その被災地映像を貪欲に欲して、でも茶飲み話に収束させてしまう庶民もイヤです。

そして自分がそういう庶民に属しているという事実を如実に感じるのはもっとイヤで。。

まずは実践、ということでマスコミから離れたわけです。

そういうことに、憤慨する身体はキープしておきたいんですよね。何歳になっても。

青臭くてもよいので。