業務の効率化について一考察
なんだか昨年から大不況とかなんとかいわれるようになってきて、システムエンジニアリングの現場でもあらためて(いまさら)業務の効率化だのなんだのと騒がれるようになってきているようです。
何年かに一度の、不況に便乗した大・業務棚卸期間。。
直接的には、業務を効率化すれば年俸制でない、残業の支給される層への残業代が減ってくるわけで、人件費はある程度浮いてくるのだろう。
業務の効率化とかカッコいいこといってるけど結局まずはそこなのでしょう。
「効率化」イコールコスト削減、ということで。。
(という前提で書いています)
残ってたって残業代出さねーぞ、と脅しかけるわけにいかないでしょうからねぇ。
と、そのあたりのことを僕が深堀りしていっても仕方がないので、「業務の効率化」について僕なりに(そして、実はきわめてマジメに)書いてみます。
業務の効率化っていうのは、「せっけんで頭を洗う」みたいなものだと思う。
これにうなずいていただけないヒトは、仕事においても効率化ってのはできないと思う。
僕は、何年か前から髪型が「坊主に毛が生えた」ぐらいなので、面倒なのでシャンプーリンスの類を使うことをやめた。(身体を洗うのと同じせっけんを使用)
それだけでなんとなく、人生がじわっと変わったような気がしている。
せっけんで頭部を洗い続けたところで何ら問題は発生しない。頭はシャンプーで洗わなければならない、というところからして幻想だから。
あるいは、ボディシャンプーで風呂の浴槽を掃除するとか。。(それはまァ、おいといて)
このたとえの中に、いろいろと議論できる要素がある。
まず、頭をせっけんで洗うことで、何が「業務の効率化」なのか? というところのおさらいは。。
・シャンプーを買わずに済むというコストメリット と、・いっぺんにわーっと身体を洗ってしまうことによる時間短縮のメリット がある。
それはわかるけど、そんなん微々たるもんでしょ? と考えるヒトは、「ちりも積もれば山となる」というムカシからのことわざを思い出していただければと思う。
これは、僕個人のたとえだけど、それを会社において全社員が心がけてゆけば、相当なものになる。
業務の効率化というのは、そういう大・号令がかかったときにわーっと業務の洗い出しとその見直しをやるのも大事だけど、それをじわっと続けることのほうが実は大事なのだ。
つまり、イニシャルとランニングの関係。
ほとんどの企業組織は、数年に一回業務の効率化! という大号令がかかり、その瞬間はコストが減るのかもしれないけど、また漸増してゆく。なぜならば、上からの号令がなければ続けられないからだ。
言い換えれば、下々の誰も「腹落ち」していないから、それぞれのルーティンにまで落ちてゆかず、誰も続けることをしない。
そしてまた大号令。。 不毛な繰り返し。
さて、このたとえでいえば、僕が仮に(自身の)業務効率化のために頭を丸めるのであれば、それこそが業務フローの「大手術」にあたるわけで。(大ナタをふるう、といいますか)
そこまでやるか? と。いや、言い方を変えれば、議論すべきは、そこまで「上」が、「下」に対してやらせることが可能なのか? やらせるべきなのか? ということ。
(頭を丸めるというのは、あくまでたとえです)