元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

仲間が増えることにより健康になる

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前回は、自分のバイオリズム、健康状態が上向きのときは、「これって俺の仕事じゃないよね」と感じる仕事、誰も拾わない「ボール」を拾ってみてはどうでしょうか、という話を書きました。ただしその作業には若干の「孤独」がともないます。

 でも、悲観することはありません。マジメに仕事してさえいれば、放置プレイの嵐の中で「いつも引き受けてくれてありがとう」「今度は私がやります」と、 別の局面で引き受けてくる人材が、必ず現れます。信じて続けていれば、現れる確率は100%です。ただし、その人材がいつ現れるのかはわかりませんが…… (1ヶ月後かもしれないし、5年後かもしれません)。


 それが…「仲間」です。

 すでに、ハードルは上げられているのです。ビジネスマンとしての意識・リテラシの高い方だけが選別され、ふさわしい仲間ができます。うれしいことにその 「仲間」は、あなたのことを「ビジネスマンとしての意識、リテラシが高い」人間であると、認めてくれているのです。喜ばしいことではありませんか。

 そういう方は同じ現場にいるとは限らないのです。社内の別な部署だったり、取引先だったり、下請けだったり、お客さんだったり… 別なところから突然、ぽっとあらわれてくることがあります。

 良い仕事というのは、誰が見ているかわからないものです(もちろん、悪い仕事も!)。


 コンディション良好でモチベーションも高い状態を続けているときに、突然出現した人に対し「この人、もしかして仲間かも?」と感じることが、あるのですね。その直感を大事にし、その人から目を離さないようにしましょう。

 仕事上でずーっと薄い付き合いを続けていた人であっても、こちらのコンディションや精神状態が変わることにより「あれ? 実は仲間?」と突然印象が変わることもあるのです。自分がイヤイヤ仕事をしているときと、ノリノリで仕事をしているときでは、他人の仕事ぶりはまったく 違って見えますし、ノリノリのときはいわゆる「デキる人」の仕事ぶりに目がゆくようになります。それはなぜかといいますと、ノリノリのときは瞬間的に「デ キる人」のステージに上がっているからなんですよね。

 また、その人(運命の人?)に、さりげなく自分の「出現」をアピールしておく必要があります。なぜならば、その人にとっては「現状のあなた」は必要ないのですから、あなたという存在の出現がメリットになると思わせなければなりません。

 アピールといっても何か特別なことをする必要はありません。ただただ、前回から書いている「引き受けモード」を実践し続けていればよいだけです。「仲間になってください!」などと告白する必要もないのです。



 仲間…あえてこの青臭い言葉を使っているわけですが。

 仲間を0人(つまり、孤独な状態)から1人に増やすのにはかなりの産みの苦しみを伴いますが、こちらが努力を続ければ、一人目の仲間は100%できま す。ところが、1人から2名以上に増やすのは簡単ではありません。かかる「労力」は大したことはないのですが、ここからは「運」に左右されるのです。

 なぜかといえばやはりそれぞれの環境というものがあるわけでしで……。いわゆる「リテラシー」の低い現場ですと当然、仲間にめぐりあう確率が低くなりま す。ですので、とにかく現場の内部でタコツボにならずに、たとえば外部の打ち合わせ、飲み会、セミナー等どんどん外へ打って出る意識を持つことをおすすめ します。そして、行動を継続しながらじっくり待ちましょう。

 仲間が1人から複数名になる場合の、自分に及ぼす「相乗効果」、「パワー」というのは相当なものです。そのパワーが共振して、目には見えない「磁場」を 形成し、仲間はどんどん集まってきます。そこから先は、もう加速度がついていますから人を集めるのは難しくはありません。

 パワーが共振すれば、自分もますます健康になっていきますし、相手にも良い影響を与えて、相手も健康になります。

 でも、0人から1人へ増やす「産みの苦しみ」を通過しなければ、複数人の仲間をつくることはできないのです。



 最後に……ここで申し上げている「仲間」といいますのは、決して、上司や部下の愚痴を言い合うような関係の人間ではありません(そういう「仲良しグループ」はすぐにできますけどね)。

 自分が「ぐいっと」ひとつ上のステージに引き上がったときに、上のステージにすでにいる「仲間」を力強くつかまえること。その、すでにいる仲間も、あな たが「ぐいっと」引き上がってくるときの勢い、パワーを感じ、「仲間」だと思う。彼らは、あなたがたまたま上のステージに上がったのだとしても、まだ実力 不足なのだとしても、そこからずっと落ちないように支えてくれる。なぜならば、それこそが「仲間」だからです。

 最後は抽象的な物言いになってしまいましたが、そういうことなんです。