元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

80年代末期~90年代前半 ”Pioneer” TOKIO HOT 100


80年代末期~90年代前半 ”Pioneer” TOKIO HOT 100|(改題)ひとり公論

僕は、80年代末期に東京に出てきました。
。。というのはウソです。出てきたのは横浜です。横浜の大学に合格したので。。

でも、「東京に出てきた」っていうのが、言いやすいんですよねえ。
だから、もしこれ(横浜にきたのに「東京に出てきた」といっていること)がウソなのだとしたら僕は大嘘つきだと思います。


その頃、確かJ-WAVEはできたばかりで、西麻布にスタジオがあり。。(西麻布、といっても、今考えればあそこは高樹町ですね)

思い出しましたが、西麻布にはyellowがありましたね。
それはおいといて、僕は上京してきて「Pioneer TOKIO HOT 100」にモロハマりしてしまったのです。。
実は、クリス・ペプラーさんは未だに僕の中で「神」に近い。。


田舎モノの僕は、なぜ日本人の楽曲が上位にランキングしないのだろうか? というカラクリに全く気づくこともなく。
(懐かしい)六本木のWAVEで、モンドグロッソの曲が桑田佳祐より週間で売れていた、というニュースをJ-WAVEで聞いて、それが宣伝だということもわからずに独りラジオの前で喜びを噛みしめ。。
なぜ喜んだかというと、「オレの『方向性』は間違ってない」と、思ったからでしょうね。あの頃の、田舎から東京に出てきた人間が起こしがちな過ちでした。。

あの、「TOKIO HOT 100」がまだスポンサーがPioneerだった頃の「旧き良き時代」。。
あの時代を語れたりするサイトや、あるいはあの時代のことに詳しいブログがあれば、どなたか教えていただければ幸いに存じます。

なんだか、あの頃のことを語りたくなってきました。もう20年にもなります。。


TOKIO HOT 100」ではメインCMはもちろん、Pioneerだったのですが、ほとんど忘れてしまいましたが、ひとつの街にフォーカスして、街の物語を、CMとして流していたんですね。長い尺でした。2分ぐらいでしょうかね、ひとつの物語をやるのですから。

たとえば、「太子堂」とか。。そういうマイナーで局地的な地名。

そして、あの頃ヘビーローテーションで流れていたのが。。

 

 

 

 

WOMAN

WOMAN

 

 


僕の中では、パイオニアといえばこの曲なのです。