元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「エコ」蒸し返し


[再録]「エコ」蒸し返し|(改題)ひとり公論

メルマガで細々と、エコについての特集をやっているもので、再び焼けぼっくいに火がつき、エコについて考えてみました。

結論としては「エコとはキタナく生きること」なのです。
たとえば僕は、身体を洗うときに石鹸、ボディーソープの類を乱用しません。おふろに浸かったり、夏だったらさっとシャワーを浴びることでおおよその汚れは落ちます。
冬などは、毎日風呂に入る必要性を感じませんが、コドモを風呂に入れる必要があるので(コドモは新陳代謝がハゲしい)自分はついでです。

洗濯も下着以外はあまり洗濯かごにほおりこみません。これは逆にいえば、常に下着が清潔でぱりっとしているというのが「最低限豊かな生活」の証だからです。
外的要因による汚れは別です。たとえば泥はねとか。。そういうのはすぐ洗いますけれども。
そういう細かい方法論ではなくて、そういう「生き方」をしているということ。(ツッコミはご容赦願います)

キ タなく生きるということはつまりは「前時代的な生き方」を志向する(完全に実現はできなくとも)ということなのですが、そこに僕のキライな「昭和ノスタル ジー」的な考え方が介入してくるので、一概に「前時代的な生き方」というくくりは賛同できないものがあります。不信感があります。
「ホントウに、昭和に戻りたいのか?」という。。 いいとこどりをしたいだけでしょう、と。
以前の日記に何回か書いているはずですが、長屋風情に住みたいけれどもトイレはウォッシュレットじゃなきゃイヤ、という、そういう考え方。

洗濯のハナシに戻れば、なんでもかんでも、ちょっと袖を通しただけで即洗濯、となってしまったのは全自動になったからですよね。

世の中を清潔に保つために膨大なエネルギーが消費されているのです。それは実は「エコ」とは逆行しています。それに目を背けているヒトが、多すぎる。この膨大なエネルギーをほんの少しでも、「真のエコロジー」に振り向けるべきです。

まず身近なエコから、というんだったら、ペットボトルリサイクルをする前にまず、自分が「キタない」生き方を志向してみなさいよ、と、いいたいのです。