元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

缶コーヒー


[再録]缶コーヒー|龍澤ヒデアキのバックドア

缶コーヒーのハナシを、以前書いたような気がするけど。。


缶コーヒーはそもそもフェイクなんだから、それがレギュラーコーヒーの味とか、ブラックを目指してどうすんだっての。

淹れたてにかなうわけないじゃん。

って、思う。

という考え方が、いろいろなところで応用できるように思う。
オイラはムカシ、缶コーヒー依存症だったけど、とにかく、缶コーヒーが好きだった。缶コーヒーという悲しい存在がね。

最初っからニセモノ。ニセモノだったら、偽りのところを極めればいーじゃん、と。


当時のオイラのバイブル「缶コーヒー風景論」

そんで実際、缶コーヒーというのはオソロしいほどのシェアを獲得してきた。コーヒーとはまったく別の「缶コーヒー」として。

ニセモノがニセモノとして、堂々と受け入れる時代。

でも、今のオイラは、それは軽くNoなんだよなあ。
だから、缶コーヒーもそれほど飲まなくなった。

でも、方向性がレギュラーコーヒーのほうへいったわけでもない。スタバ系もそれほど好きじゃない。

ホンモノの豆にこだわる、とか、そういうのもなんとなくバカらしい。高いカネ払って。。


とにかく今の自分は、「嗜好品に取り込まれる」こと自体がNoなんだよね。
カフェインに対しては若干の対決姿勢である。

缶コーヒー風景論

缶コーヒー風景論