元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

誇りと繁栄(3)

誇りと繁栄(3)

ムカシムカシ、終戦直後に、その頃のコドモらは、占領軍に対して「ギブミーチョコレート!」を連呼し、強いモノたちにすり寄って菓子をもらうという知恵がありました。

そしてそれを苦々しく見ていた親たち。。コドモに対して「乞食め!」と感じたのでしょう。
でも、コドモには何もいえず。。

そこからして世代間の断絶は、はじまっています。それはもうどうしようもないぐらいの。

親たちは決して「ギブミー」とすり寄っていくことはなかった。果たしてそれはコワかったからだろうか? それだけなのだろうか?

戦前、戦中派はそこに「日本人の誇り」を見出したいのです。占領軍にすり寄っていかなかったという事実に。


都市においては、占領軍にすり寄ってゆく女性の姿もあったそうですが。。デリケートな話題になるので自主規制。


。。そして時は過ぎ。。その頃親だった世代の多くは亡くなり、もうその世代の「声」は届かなくなってしまいました。

そして、その頃「ギブミー」と叫んでいた子らが、高度成長期の日本を支えていったわけです。

そしてそして、いわゆる団塊の世代というのは「ギブミー」すら知らないのでしょう。つまり、高度成長期以降の日本を支えたヒトたちです。
平和教育の洗礼を受け、それを拡大解釈しつつ邁進していった世代。。

ここで(バブルの頃)日本はオカしくなってしまった、というのが定説です。


僕個人は、高度成長期の日本を支えてきた世代の、コドモたちにあたります。

僕らが世の中の中心になってきて、世の中は右傾化しているといわれています。

それはなぜなのでしょう?

なんてことを考えてしまうと、また知恵熱が出てしまいます。


僕らの親の世代で、「日本人の誇り」という考えの、江戸や明治からの連鎖は、一旦カンゼンに途切れました。

そして、占領軍の置き土産である憲法やら民主主義に対してなんら疑いを持たずに育った世代が団塊の世代
彼らがバブルをつくりだし、はじけさせた張本人でもあるのでしょう。


僕らの親世代がやってきたことは、なんだか、なんとなくおかしい。批判するほどでもないのだけれど、何かがおかしい。

僕らは、オトナになってやっと、そういう疑いを持ち始めています。

その萌芽は、すでにありました。オウム真理教であったり宮崎勤事件であったり神戸のサカキバラ事件であったり。。


とにかく僕らがわかっているのは、同じやり方をしていてはダメなのだ、ということです。

それをわかっているだけでも、救いはあるのだと思っています。