元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

参謀役とリーダシップ

参謀役とリーダシップ

参謀役というとどうも、「暗躍する」ようなイメージがあるのだが、暗躍せず、陰に隠れずにリーダシップを発揮するような「参謀役」になりたい。
僕の、なりたい人物像のイメージはそんな感じ。

参謀役というのは、状況を俯瞰してみれる。オイラは、そういう見方をするように自分を鍛えてきたので、自信はある。

ただ、状況を俯瞰する人間はえてして評論家になってしまう。自分の手を汚そうとはしない。だから、そうはなりたくない。
状況を俯瞰してみてかつ、リーダシップを発揮できるような人間。

「こうしたらよいのでは?」と、上にも下にもはっきり述べることができる。そんな人間が理想。

「リーダ」っていうのは「マネージャ」と違って手を汚す人間である。と僕は思う。(だから、タイヘンなのだ)
手を汚す分、責任は少ない。責任は少ないことを卑下する必要はまったくない。手を汚しているのだから。それが仕事なのだから。

僕はギョーカイの最底辺層に棲息しているので、「手を汚す」のがデフォだし、「マネージメント」はそもそも求められていない。最底辺層の土方にまでマネージメントを求められてきたときはそれはマネージメント層の怠慢なのだ。

「リーダ」であれば、自然に推挙されてリーダになるというのであれば、それが理想だ。現場が求める人間がリーダになるべきで、逆をいえば現場が求めていない人間がリーダになると士気が下がり、生産性も落ちてくる。

マネージメントは別に、現場が求める人間が推挙されなくともかまわない。というか知ったことではない。もともと手を汚す層とマネージメントは相容れないものだから。