元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

よりよく生きるための何か

クラシック 自分はここから。。「どう」進んだのだろうか?
よりよく生きるための何か

自分は、よりよく生きるための「何か」を探し中なのだなあ、という自覚はあるわけですが。。

その「何か」とはおそらく普遍的で、納得感のある、「方法論」のようなものだと考えます。

ただ、この「何か」を探しているという行為は決して「自分探し」ではないのです。自分はとっくに見つかっている、というのは何度も書き出し ているとおりです。

この「何か」は、実は潜在意識の中では完全に「わかっている」のでしょうね。

それを、潜在意識から取り出すことの恐れ、躊躇があるから、まずはその恐れを取り除かないといけないのです。

「探す」というのは、イメージとしては、「潜在意識」という深い沼に、ほしいものが落ちている、というのはわかっているのですが、その周り を虚しく探し続けているような状態。

対外的には、「探している」というポーズにはなっているわけです。「ホントに、どこにあるのかわからない」という顔をして。。ホントはどこ にあるか知っているのに。

だから、私がホントにやるべきことは、このイメージの比喩でいえば、「泳ぐ練習ではなく、『潜る』練習をすること、泳げるという段階はクリ ア しているのだから、『潜る』ことに対する恐怖感を無くすこと」であり、そのために水着に着替えることであり、その「潜在意識」という深い沼で はない、練習 用の浅い沼を探すことであるはずです。

その具体的行動になかなか移れないという。。


話飛びますが、「掃き清める」は端的にこの「何か」のヒントになっているはずです。

自分は、平日の朝、自宅のベランダとドア前を「掃き清める」のが最近楽しい。

おそらく、こういうことなのです。