元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

大都会で自然の摂理を感じる

大都会で自然の摂理を感じる

  • 大局的なサイクル

生活サイクルに、追随してゆくかたちでは、ダメなのだと思います。
ましてや、大局的なサイクルに反抗しても、ムダです。

「サイクル」には積極的に「乗ってゆく」のが肝要です。
僕は、その理屈は後付けでしたが、おそらくそうなのだろうな、という気付きが数年前にあり、無意識的に早寝早起き、日課の遂行というものを始めた のだと思っています。理屈よりもまず行動。

そういうときは自分の性格(「まず行動」)を見直したりします。

早寝早起きをしていなかったのはなぜかというと、ただ、気付きがなかっただけなのです。

早寝早起きが、僕らの世代より下になかなか根付かないのは、そういう、生来の生活サイクルに「取り込まれる」ことを「負け」だと感じる「何か」が あるのでしょうね。

「負け」だと感じるから、「反抗」する。
そういうヒトに、もし「神」が存するのだとしたら、何か施しを与えると思いますか?

自然の摂理には「なるべく」従いましょう、ということです。この大都会でも、それは十分可能です。現に、産まれてからずっと大都会で暮らしている お年寄りなどは、うまく、このコンクリートジャングルにいながら自然の摂理を感じ、従っています。

人間が、この地球というフィールドで傍若無人に振る舞い、コンクリートジャングルで土地を覆ってその中で自分たちだけ自然の摂理に反する生活を試 みようとしています。

その真っ只中で産まれ、育った僕たちは、それは「業」なのですからそのことを気に病む必要はありません。ましてや、気に病んだ結果として「偽」ア ウトドア派になるのは愚の骨頂です。
(偽アウトドア派は、自然イコール「アウトドア」と規定している時点で、自然の摂理にはまったく従っていません)

「業」とともに生きればよいのです。コンクリートジャングルで、なるべく自然の摂理を感じ、大局的な人間のサイクルに「乗って」暮らそうとする 「気概」を持てばよいのです。