元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

訓練2

前回ちょっとだけ引き寄せの法則云々と書きましたが、僕の超・個人的見解だと(「引き寄せの法則」を最大限活用して)人生における応用問題という のは、ほとんど「やってくる」感じなのですが、それはそう見えているだけで、引き寄せてるような気がしてならないのです。

応用問題ってのは予期できないからこそ応用であって。自分で自分に応用問題を課するのはけっこう難しいだろうと思われます。どうしても自分に甘く なってしまうので。

なんというか。。ふだんドリルや基礎問題を習慣的にやっていない人間に、難しい応用問題がふってくるような気がしてならない。

というか。。ふだんドリルや基礎問題を習慣的にやってる人とやってない人に、同じ問題がふってきたとして。。前者は「基礎問題の延長」ととらえる だろうし後者は超難しい応用問題ととらえる。
そういうことなのです。

そして。それをさらに超える問題がふってきたならば。。前者は歯を食いしばって解いてゆくかもしれませんが、前者は自殺するかもしれない。

よくいわれることですが、その人の人生には、その人が最大限努力して解ける応用問題しかやってこない、と。
でも死んじゃえばうやむやになってしまうのです。若くして死んでしまう人には、最大級の応用問題が早めにきてしまって、死んでいるのかもしれな い。

。。あれ?こういうことを書きたかったのではなかったのですが。。

まあとにかく、前回書いたとおりで、人生の後半戦であってもほとんどドリルと基礎問題だということです。応用問題なんてめったにこない。突然ど かっとふってくるので、ふだんはないです。

応用問題が「やってこない」からといってふだんからぼけーっとして、毎日問題を解かなくていいのですか?というのが僕の問題提起です。きたるべき 時のために毎日毎日毎日、大人になっても、ドリルと基礎問題は解いておかなければならないのでは?