元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「呼ばれる」

「呼ばれる」

ヒトは「呼ばれる」ところには、いつかはいくと思うのです。

海外旅行を繰り返すヒトは、なんだろう、「呼ばれる」ところを探しているのだろうか。

「呼ばれる」ところと行きたいところは違うような気がしますね。それが、ほとんどのヒトにとっては軽い不幸のようですが。。

よく聞く恋愛話で「好きじゃないヒトに好かれる、好きなヒトには好かれない」みたいな。。

いつかは「いく」というよりも「導かれる」と思っておけばいいではないですか。それは「どこかに」であって、望むところではないかもしれな い。それは実は近所なのかもしれない。もっとひいていえばそれは「死の淵」あるいは「天国」なのかもしれない。(話が飛躍しすぎですが)

行きたいところにはいっておけばいいのです。

あれ? ということは、海外旅行を繰り返すヒトを肯定していますね。いつもは否定しているのに。

いや。。「海外旅行を繰り返すヒト」は、おそらく「単なる観光」と、割り切っていない。それが問題。

ビジネスで世界を飛び回っている、というシチュエーションは、肯定できそうですね。

このハナシはいろいろ「掘れそう」だなあ。。自分の中から。

自分はまず「行きたいところに、住んでいる」という点で、ひとつ段階をクリアしているわけですね。

行きたいところに行けない!という慢性的な不満足感を抱えなくてもよい。

だからもうあとは、「導かれる」だけなんですよ。

整理すると、「約束の地」とか「終の棲家」みたいな考え方を、否定はしません。そしてそういうところには自然、導かれるものだと思っていま す、と。でも、「そういうところ」がないヒトが世の中の大部分ではないか。

ぼけーっと待っていれば「約束の地」に導かれるヒトもいるしそうでないヒトもいる。導かれないヒトはつまり、「そこ」が約束の地なのです。

旅行を繰り返すうちに、いろんな土地の比較から「約束の地」を決めてゆく、という手法はたぶんちがうと思います。旅行を繰り返すヒトより も、 めったに旅行などいかないヒトがひょんなことから行った旅先で「何か」にとりつかれてしまってそこに永住してしまう(極端にいえば)、といっ たシチュエー ションのほうがありうると思う。

前者は、冷静に「比較検討して」決める時点で「約束の地」ではないと思われますね。

その手法では「ベター」な場所は見つけられるかもしれませんが「ベスト」ではない。

ところで、ヒトは「ベター」でぜんぜん問題ないわけです。「ベスト」を選択できる人間は限られているわけですから。

半強制的な力により「導かれる」のほうが多いですよね。単身赴任先が気にいってしまって家族も呼び寄せてしまった、とか、トばされた先で結 婚する相手に出会った、とか。

旅行雑誌とか外国の風景雑誌をみて「ピン」とくる、というハナシは聞きますね。呼ばれている感じがする、と。


そもそも「呼ばれる」「導かれる」ために「アンテナ」をピンと張っていなければならないのでしょうか?

これは自身の大きなテーマのような気がします。

「人事を尽くして天命を待つ」が、考え方としては近いように思えます。いたずらにアンテナを張ったって呼ばれはしない。それよりも「準備」 をせよ、と。

その「準備」をどうすればよいのか、わからないヒトが多いのでしょうね。

(僕もわかりません。。)

でも、いつもの僕の持論につなげてしまうのですが、鼻息を荒くしてアンテナを張るよりも、日常を大事にして、常に平常心でいたほうがよいと 思うのですが。