元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

キャンバス。

キャンバス。
大学の5年目。。留年したわけですが、今思い返すと不思議な時間でした。
もともと就職活動をする気などさらさらなく(主義でもなんでもなく、ただ、面倒くさいからです)
公務員試験ひっかかればいいなあ、などと甘いことを考え(日程がバッティングしない公務員試験はすべて受け、ひとつだけ一次はひっかかりました  二次でダメでしたが)

仕送りはなくなりましたが、マジメにバイトはしていたので最低レベルの生活は確保され。

幸せ、ではないのですね。将来の不安というのはオソロシいぐらいに重圧だったはずなので。
でもなんだろう、ぼけーっとしていましたね。

ですが、「卒業」という名目で大学を追い出されてからも相変わらず、重圧だけは感じ続けながらぼけーっとしていました。
逃げていた、ような気もしますが逃げていないような気もする。なぜなら、大学は出ましたので。逃げ続けるつもりなら何としてでも留年し続けるべき だったでしょう。

昼のバイトでは効率悪いので夜のカラオケボックスのバイトに切り替えたのですが、当然昼夜逆転の生活になり、友人がネクタイをしめて「企業戦士」 の仲間入りしてゆく中、自分は「なんだかな〜」と思っていましたね。
特に自分を卑下するわけでもなく、でも、彼らとはちょっと違うだろう、という選民意識も持とうとしながら。

今思えば、あのとき根底にあったのは、自分が食えていればいい、他人に迷惑をかけていなければそれでいい、と、それだけでしたね。親には精神的に 心配をかけたでしょうからそれは反省、ですが、たとえば、家賃はゼッタイに滞納するまい、と思っていましたね。それも「他人に迷惑をかけない」の 一環で。

今でも、根底にあるものは変わらないんでしょうね。「自分が」ではなくて「家族が」に変わっただけで。


と、平井堅さん(同じ大学)のPVを見て感慨を深くした次第です。
つまりこのPVのロケは僕の母校というわけで。ホント、懐かしいです。