元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

抱負系⇒ フィールド・ワーク

フィールドワーク

中沢新一さんの発言の抜粋ですが

「(略)ブッダという人物は(略)古代帝国に触れたとき、この帝国というものが、知恵を解体してさまざまなバランスを崩壊させている現実を見た。帝国でさかんないろいろな哲学も学んだ。けれども、そういうインド哲学のどれ一つを取ってみても、帝国原理と何らかの共犯関係がある。哲学が、解体されつつある知恵を回復できるものではないことを、ブッダは知った。哲学はただ世界を解釈しているだけだ、というわけです。そこで彼は解釈の哲学を否定して、それらすべてを乗り越える実践のかたちをつくろうとした。(略)」

私が宗教に対して描いている「理想郷」はここにあるのですね。哲学はただ世界を解釈しているだけなので、それを肯定せずに否定して、それを凌駕する「実践」のかたちをつくる。

机上の空論を否定してそれを凌駕する「実践」のかたちをつくる、というのが私の人生のポリシーのようなものとリンクするのです。

それを端的にあらわしたキーワードが「フィールド・ワーク」なのかな、と。

と、いうことをあらためて認識した1年でありました。

大人の赤子

鈴木大拙の著にあるコトバで「大人の赤子(とは)分別を具えた不分別」というのが「しっくりきた」1年でした。

なんだか全然回顧になっていないような。。