元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分はなにものか?

自分はいったい、何なんだろう?

と、たまに思います。
「何者」か? ではないのです。「何」なのか? と。

不思議な感じ。。

「こんなに幸せでいいのだろうか?」という感じと似ている。

「なぜ人間に生まれたのか?」ということでしょうかね。

。。この話は、難しいのです。「自分は、どんな使命をもって生まれたのだろうか?」という話につながってゆくから。

なぜここ(東京)にいるのだろう? なぜ田舎(福島)じゃないのだろう? なぜ自分はあの「放射能」の被害を受けなかったのか?

地元の大学を出てたとえばどっかの会社の仙台支所等に勤めて、結婚して子供も生まれて、そして大地震に遭遇していたら? そういう可能性は、自分 にはおおいにあった。
でも自分は今東京に根をおろし、妻子と幸せに暮らしている。

それは、なぜか?
その解は、とてつもなく難しい。一生かかってもわからないかもしれない。重い。

。。ということを(たまに)考えるのは、大事なような気がします。