元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

トモダチ〜

トモダチがいないと生きていけない、というのは極端だとしても、トモダチがいないと楽しくない、という人生に陥ってしまったら終わりだろうな、というのは、かなり若い時分から考えていたように思います。
それこそ10代後半ぐらいから。

結局人間は独りなのだという諦観を、かなり早い時期に持てたのは、僕の人生にとってとてもよかった。

人間は独りぼっちなのだ、というのは、多感な青春時代に誰でも考えることです。ですがそれを「諦観」にまで落とし込めるのは。。

リアル独りぼっち、ではないのです。仲間はずれにされていた人間が諦観を持つのは当然のことです。(残念ながら、そうなってしまうということはそれなりの理由があるからでしょう)

多くの友人知人、親戚に恵まれ、囲まれている中で、絶望的な孤独を感じ、受け容れ、諦観まで落とし込めるかどうか、ということです。