元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「水五訓」

水五訓中條高徳アサヒビール名誉顧問)『致知』2006年9月号

人類にとってかけがえのない大切な水だけに、水に関する教訓がたくさんある。
(略)
「水は方円の器に随う」という。
自分を主張せず、すべてに柔軟に順応しながら、自分の本質を失わない老子の水哲学を、先人が見事にまとめ上げられているのでご紹介しよう。

■水の五訓(※印筆者註)
一、
自ら活動して他を動かしむるは「水」なり。
※水は百年、千年流れて峡谷を刻み、千丈の滝をつくる。洪水、大雨は、文明の利器たる新幹線もストップさせ、家屋まで押し流す。水の力は、人の力をはるかに超える。
二、
常に己れの進路を求めてやまざるは「水」なり。
※水は必ず低きを選び、低きにつく。より低い己れの道を求めてやまない。限りない「謙虚さ」を示す。
三、
障害にあって、激しくその勢力を百倍しうるは「水」なり
※流れる水を止め貯水し、一気に流し、発電し百倍千倍の力とした。富山で発電所を造る時、水が百倍の力の電力に化ける理の判らない住民たちの強い反対があったと聞いたことがある。
四、
自ら潔く、他の汚濁を洗い、清濁併せ入る度量あるは「水」なり。
※清らかな水も、濁れる水もなんの文句も云わずにただ流れるままの姿は、与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻むべしと説いているようだ。
五、
洋々として大海を満たし、発しては霧となす。雨雪を変じ霰と化す。凍っては玲瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは「水」なり。
※さまざまな水の態様は、人生を達観せよと語っているようでもあり、無言にして人生の輪廻を説いているようでもある。その性を失いはしないが、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』)の如く、水は時の移ろいをも語る。