南直哉さんによれば、仏教というのは「答え」を見つけるのではなく「問い」を見つける教えだ、と。。
うまい言い方ですね。そのとおりだと思います。
キリスト教は聖書にすべて答えが書いてある、と思われていますし、そういう意味でとっつきやすい、なびきやすいのでしょうが、実は仏教の聖典と同じで、「問い」しか書いていないような気がします。(専門家ではないので、印象論で書いています)
つまり、仏教以外は「一神教である」という定義そのものが「答え」であるのですが、そこに付随する物語は「問い」の連続でしかないのです。