やっぱトイレですよ
たとえば市民運動でもデモでも、「座り込み」でもなんでもいいのですが、現代人は、トイレを確保できないのであればそのような「運動」は耐えられないと思いますよ。
だから、そういう運動が減ってきたのではないでしょうか。
下水関係を犠牲にしても運動に殉じますか? といえば100%Noでしょう。
「運動」に突き動かす原動力、といいますか、何かの権利を獲得するためであれば、外で用便することも厭わないか?
たとえば、まァ古いたとえになりますが、全共闘で全学ロックアウトしたとしてもトイレは詰まってきますよね。ですからなんだかんだ言い訳をつけて下水の業者はいれる。その「なんだかんだ言い訳」が、みっともないんですよ。下水業者はゼッタイに権力側であるはずなのに、警察や機動隊には反抗するくせに、下水業者には諸手をあげて屈服です。
さらに、選民意識があるから、トイレ掃除も「やらせる」意識でいる。屈服しているにも関わらず。
全学連で国会に突入したところで、デモがこう着状態になったらどこにもトイレはありませんよ? どうしますか?(特に、女性)
「思想」をなげうって公衆トイレにかけこむしかないでしょう? もちろん、大混雑しているでしょうけど。。
オムツしてまでデモしますか? そこまで賭ける「思い」があるのでしょうか?
衣食住どころのハナシではないのですよ、「排出」の問題は。
ですから、逆に考えたらトイレをとめられたらおしまいですよ、現代社会で。
まァコンビニはありますけど。。 「トイレを使える」という意味での「コンビニエンス」か。。
トイレを確保しておくことです。そして、皆で率先してキレイにしないと。入りやすいトイレにしておくことです。それも「豊かな生活」のひとつ。
新興の会社の社長が、トイレ掃除好きが多いというハナシはよく聞きます。自ら、やる。それって、すごく、わかるような気がするのです。トイレを大事にするヒトが出世する、というのが。。
トイレがどれだけ大事か、ということを身体で知っているヒトは、強いはずなのです。