元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

東城百合子さん 祈りとは

あなたと健康社東城百合子さんの言葉ですが。。

「祈りとは生活そのもの
 祈りとは生活すること」

このコトバだけを切り取ってしまうと、ただ生活していれば祈りになる、という解釈になってしまいます。

でも、僕の解釈になってしまいますが、東城さんのおっしゃる「生活すること」は我々の「ただ漫然と生きること」と明らかに違います。

「ふつうの庶民の生活を送ること」が正解のはずなのですが、現代社会ではそうではない。つまり、世の中があまりに豊かになりすぎて「ふつうの庶民の生活」がきわめて「ただ漫然と生きること」に近くなってしまっているのです。

「ふつうの庶民の生活を送ること」が非常にムズカしい世の中になってきています。


たとえば。。暖房や冷房のなかった世の中であれば、アタリマエですが夏は暑く、冬はキビしい寒さなわけで、そういった気候条件だけで、人間は漫然と生きることができなかった。生きるために若干の「耐える」ことが必要だった。
そこで、「工夫」などが発生するわけです。

現代社会では日常で「耐える」ことが非常に少ない。だから漫然としてしまうのです。



続く、かもしれません。。