元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

宣伝、プロパガンダとは

庶民が継続してる(できる)ことというのは、実はほとんど間違ってるのではないか? と、疑問に思うことがあります。


たとえば、僕がコドモの頃は「ホワイト&ホワイト」(歯磨き粉)全盛の時代で、歯ブラシにそれを「まっすぐ」大量につけて、がしがし歯の前面、表面ばかり磨いていました。

今は、歯磨き粉は歯ブラシにちょっとしかつけない。それで十分だからです。
そして、磨き方も発達(変化)してきました。持ち方も変わって、歯の隅々まで磨くようになりました。(今、僕はペンを持つように歯ブラシを持ちます)


ホワイト&ホワイトを大量につけるのはただの宣伝(一回にたくさんつかってくれればすぐ減って、すぐ買い替える)にすぎません。


これはひとつの例ですが、テレビや、テレビのCMが先導(扇動?)してそれが庶民の習慣になっていったものは実はほとんど間違いだった、という総括をしなければならないと思っています。
一度検証してみないと。。

もっと大きなハナシでは、郊外に庭付き一戸建てを建てて父親は片道1時間半かけて都心の会社に通う、という高度成長期時代の中流家庭の「夢」は、実はカンゼンに間違いだったのではないか? という総括(議論)も、したほうがよいと思います。

いや、それに踊らされた庶民は間違ってはいないのです。必要なのは踊らすほうの総括です。

すべて、何かしらの策略により、庶民を騙す方向でいろいろな宣伝をしていなかったか? と、世の中を動かす側に問うていかなければならないと思います。