永遠に逢えないか
死ぬともう永遠に逢えないということで悲しくなるのでしょう。
ところで、「あの世」でも結局逢えないような気がするのですがどうでしょうか。
あの世というのは膨大に広くて、たとえばじいさんが死んだばあさんを追いかけて冥土に旅立ちました、と。ところが、着いたところがどこにばあさんがいるのかわからない。途方にくれるうちに、その人の日常は、ばあさんなしで形作られてゆくのではないでしょうかね。
そこで、偶然にばあさんに会えるかもしれないですが、他にココロときめくヒトがあらわれる可能性のほうが大きいような気が。。
これは寓話であって、自分の言いたいことを相当簡略化していますが、そんなものでしょう。
あの世を考えるのではなくて、「現世」のほうが亡くなったヒトには逢いやすいような気がするんですよね。これがいわゆる「亡霊」ですね。
「遭いやすい」というのは、物体としてではなくて、たとえば目を閉じればそのヒトの思い出がよみがえってくるかもしれませんし、うつらうつらしているときに枕元に立っているかもしれない。実際、夢の中ではいろいろなパターンの「ばあさん」が何度も登場することになるでしょう。
枕元に立つ、とかいうのは現世に霊が残っていれば、のハナシで、たとえばそのヒトが往生したり、次のナニモノかに生まれ変わったりしたら、その霊は消えてしまうのでしょう。
でも、死んだヒトの思い出というのは、どれだけ脳に情報がインプットされても消えないものです。それは、「焼き付き」に近いものでしょうね。
物体としてもう一度逢いたい、というのであればそれは単なるわがままでしょうが。。
たとえば目を閉じれば逢えるとか、夢を見れば逢えるとかできるのであればそれでよしとすべきでしょうね。
頻繁に逢いたいのであれば夢を見る訓練をすべきです。
ところで、おとぎバナシをぶち壊すようで恐縮ですが、やがて、その思い出がジャマになるときもくるのかもしれないのです。
これらはオカルトのハナシではなくてきわめて現実的な解釈です。