元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

仕事、という存在に対してもっと謙虚に

年末年始も仕事しています。。

ということで、タイトルに書いたとおり、僕らは「仕事」に対してもっと謙虚にならなければいけない、と思いました。
「敬意を持つ」でもよいです。

仕事、というのは「会社」ではありません。

高度経済成長を経て、「仕事人間」が悪のレッテルを貼られてしまいましたので、これを取り戻してゆかなければなりません。

日本が停滞してしまったのは、「仕事人間」が減ったからです。


レッテルを貼られるべきは「会社人間」なのですね。
僕の偏見では「会社人間」は仕事に対して謙虚ではない。すくなくとも、仕事は所与のものと思っています。「会社」という存在にとりいり、口を開けてまっていれば仕事は与えられた。

そしてその「仕事」に対して全力で取り組むことをしない。なぜならば、逆に全力で取り組むと出世が妨げられたり、数十年「勤め上げる」というスパンだと日々全力で仕事に取り組むと、途中で息切れしてしまう、と考えられていたりしたからです。


会社人間の方々に、実は非はあまりないのかもしれません。なぜならば彼らは自分たちが「仕事人間」であるとまったく疑っていないからです。

「会社」に対して仕事するか、「仕事の神」(? てきとうに書いてみました)に対して仕事するか、の違いでしょうか。。


この日記では何度も「天職」論を書いていると思います。
ヒトは、天職を得たと感じたのであればその仕事に邁進すべきである、と。少なくとも年に350日ぐらいは働くべきだと思います。
それは、とても幸せな状態です。これこそが「仕事人間」です。

「天職」というのは会社組織を媒介にすることもありますしそうでないこともあります。

そして、「天職」を与えられない(僕含む)99%以上の凡人はいっそのこと定時であがりましょう、と。
天職を与えられないのに、だらだらと会社に居残りつづけ、精神的にも会社にカンゼンに依存してしまうのが「会社人間」です。

ですから僕は住宅ローンというものに懐疑的です。(仕事人間になれないヒトが)ローンを組むというのは会社にカンゼンに依存してしまっている証左ではないかと思うからです。