元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「時間がもったいない」と面倒くさいは違う

たとえば(私もそうでしたが)独身男子や、あるいは女子までもが、自炊をしようとしませんね。

素朴な疑問ですがそれはなぜか?

多くの若いヒトたちは、それは「面倒臭いから」に他ならないはずなのに、「時間がない」というのでしょう。

時間がない、というのはただの口癖なのです。時間がない割には、異常といってよいほどケータイ、パソコン、テレビの画面を眺めている時間が長い。

そういう受動的なサービス(画面を眺めていればよい)は、確かにラクです。自炊は、それと比べれば相当面倒な行為でしょう。


それと、自炊には「快楽」はセットでついてこない。能動的に行動を起こさなければならない「面倒臭い」行為であっても、それが「快楽」につながるとわかっていれば、若いヒトたちは重い腰を上げるのかもしれません。

加えて、経済的余裕でしょうね。僕らが若い時分は、「自炊」とはいわないまでも、とりあえず飯は炊いておいて、おかずを後から考える、というのが日常だったような気がします。

あるいは。。立ち食いそばとか、20年ぐらい前ちょっとだけブームだった100円バーガとか。。

自炊という行為は確かに面倒な行為ではありますが「悪いことは何もない」はずなのです。ところが、若いヒトたちのみならず、主婦層までもが、自炊という行為を「時間を食うから」という理由で悪いほうへ考えてゆく風潮。。

手数をかける、「ひと手間かける」というのは、時間をかける行為そのものです。
それをやる余裕がある状態こそが「豊か」であるはずなのです。

さらにひと手間かけることにより、経済的にも安上がりになるとすれば、ますます豊かな行為であるといえるでしょう。

それなのに、「面倒くさい」というネガティブな考え方が、ライフスタイルすべてを支配してしまう。

生活を効率的に効率的にしようと努力した結果、日本人は「豊か」になったでしょうか?
ほとんどのヒトたちが、通奏低音としての不満足感を払拭できないまま、生きています。それはなぜか?

それは、人生にひと手間かけていないからです。それをする余裕がないのです。多くのヒトは「時間的余裕がない」と言い訳しますが、時間は膨大に与えられています。与えられた時間をすべてヒマつぶしの手段で「瞬殺」していっています。
それを、無意識に行っているところが、オソロしい。

ヒマつぶしのゲームやテレビ、といった存在とジャンクフード、ファストフードというのはホントに、似ています。


同じように若い独身貴族のヒトたちは、掃除をしませんね。。

掃除をしなくとも生きてゆける。ジャンクフードばかり食べていても、とりあえずはくいつなぐことができる。

「やらなくともいいこと」は、確かにやらなくともいいのかもしれない。
でも、やらなくともいいことを継続することが豊かにつながると思います。

掃除は、別に毎日やらなくとも死ぬわけじゃない。でも、毎日部屋がキレイになるのを見るのは精神的によい。これは、芸術鑑賞と似ているのかもしれませんね。
自分を精神的に豊かにしてくれることを、優先すること。