元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

まず自分、でよいのでは

たとえば掃除を例にとれば、
自分の鍛錬のために行っていることが結果的に他人、周りの役に立てばそれでよいわけで、それが利他的。

つまり、最初から他人、周りの役に立とうという気持ちが先にくることが利他的といえるのか? という疑問が以前よりありまして。。

周りに役に立とうという考え方自体が実はすごくイヤらしいのではないか? と。
逆に、まず自分、と考えることが実はそのまま「自己中心的」ではないのではないか? と。


まず自分を磨かなければどうしようもないでしょ、と。
自分を磨いてから、その「余裕」をもって他人に奉仕しても遅くない。
自分が不完全なうちに他人に奉仕しようと思ってもそれは独りよがりの自己満足に陥る可能性が高いですし、かつ、それでは悪意を持つ他人に容易にとりこまれてしまう可能性が高いのです。自分が確立されていないがために。

他人に奉仕しようとする気持ちを逆手にとられ、奉仕する気のない別の他人にコキ使われてしまっては、元も子もないのです。

そうならないために「自己」を確立する必要があります。