元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分の生活への気がかりがなくなる(他人のために生きるという素地)

自分の身辺を整理して、自身の生活を豊かにする努力をし、ストレス少なく、「生きやすい」生活を確立し。。

そうすると、自分の人生そのものが空気のような存在になる。(これが、一次的悟りかもしれません)もう自分が自分がという考え方がなくなってくる。

そして、自分の生活そのものへの気がかりがなくなってはじめて、他人のために生きるという素地ができるわけです。
そこで終わってはダメなのです。自分の生活への気がかりがなくなって、「ラクになった」で脱力して終わってしまっては。


その、自分の生活への気がかりがなくなる、という手段について、「カネ持ちになる」というのはタイヘン有効です。
カネができれば、ほぼ、生活は安泰になります。

でも、それに対してふたつの考え方があり、まず、カネ持ちにはならなくとも、自分のライフスタイルを確立して、自分の生活への気がかりを最小限に少なくしてゆく手段は、あるということ。
ただし、カネ持ちにはならなくとも、質素に生活してゆける資金があることは、大・大前提なのです。
貧乏では生きるのが精一杯なのです。貧乏と質素に暮らすとはまったく違うのです。


そしてもうひとつ。自分がそれなりにカネを持ったときに、舞い上がらず、踊らされないような訓練はゼッタイ必要だということ。それが、前述した、「一次的な悟り」のステップなのです。