元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

残らないモノにカネをかける

食べるものにこだわる、というか僕の場合は、モノとして残らない、胃で消化されてしまう刹那的なものへカネをかけることの美学、とうことにこだわってきたように思います。(今は、だいぶ心持が変わってきていますが。。)

最近、ちょっとベクトルは違うなと思いますが、身体の中に入ってゆく食材にこだわる(無添加有機etc)という流れは、カンゼンに確立されてきました。
動機はどうあれ、モノとして残らないところにカネをかけるという点では同じです。
モノに執着しない方向性に世の中がなってきているというのはとてもよいことだと思います。

最近、豊かな生活というのはいかに「モノ」の洪水から脱却できるか、ということにシフトしていると感じています。
脱却するためのひとつの手段として「モノとして残らないところにカネをかける」というのは非常に有効です。


シンプルな部屋に住めるのは豊かな証左です。

そして、シンプルな部屋に住むためには、捨てることです。

何を捨てるか? 人工的なモノは、抱えておく必要はない。
ココロの通っていない工業製品は、とっておく必要はないのです。使い捨てでよいのです。

もっといえば、ココロの通っていない工業製品は、買わなくともよいのです。