荒川祐二さん「半ケツとゴミ拾い」に感じる違和感【あえて苦言】
- 作者: 荒川祐二
- 出版社/メーカー: 地湧社
- 発売日: 2008/12
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 32回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
一介の大学生が、突然(?)新宿駅付近の掃除を一人ではじめ、最初は酔っ払いに罵倒されたりしたものの徐々に仲間を得、ムーブメントを起こしてゆくという、そういうハナシだと思います。
(この本は読んでいませんが、書評などから判断しました)
この若さで気付きを得たことは確かに、賞賛に値するのですが。。
僕にはこの一連の流れは、このヒトの「戦略」であるに違いない、と感じています。
僕には、わかってしまうのです。
僕は、ホントに掃除を極めたいのであれば、一緒にやりたいヒトを募集はしないと思う。
掃除というのは極めて個人的なものです。
なぜ、一緒にやりたいヒトを募集したか? それは、単に「公園が広すぎるから手伝ってほしい」ではないのです。ヒトを増やすことにより「ムーブメント」をつくりたかったからです。
なぜムーブメントをつくるか? そこが「戦略」なのです。
つまり、ムーブメントの中心人物として世の中に認知され、平たくいえば「有名になる」ためです。
このヒトは高い確率で、ふつうに就職はしないのでしょう。(もし、ふつうに就職されたのならば、この違和感は払拭されます)
最初から、そのつもりなのです。このヒトの人生のロードマップには、平凡なサラリーマンという道はなかった。
ましてや、掃除のプロを目指すのであれば清掃業者であったり清掃のシルバー人材の方向性に進むべきだと思うのですが、泥臭いそちら方面にも、いかない。
この本を賞賛しているヒトたちは、この本から漂ってくる「イヤラシさ」にまで気付いているのだろうか? 「リテラシー」という観点では大丈夫か?
と、心配になってきます。
(以上、Amazonレビューにもポストしました)