元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

死んだ後世の中の役に立つ(辛気臭いハナシではありません)

自身が死んだ後に、いかに世の中に役立てるか、と。。
何かの本に書いてありました。

それの意味は、「歴史に名を残す」とはちょっと違うわけです。
でも、カンゼンに違うわけでもない。だから、惑う。

歴史に名を残して、自身の死後に残った知人や親戚の名誉欲を満たしたところで、それが世の中の役に立てるかどうかはわからない。
でも、少なくとも、名誉欲を満たしたということで知人、親戚の役には立っています。

「悪名」でなければ(犯罪者とか。。)歴史に名を残すのはとてもいいことです。
それをモチベーションにするのも、よいでしょう。

でも。。
歴史に名を残すために、世の中のとあるヒトには大迷惑をかけているかもしれません。。いや、その可能性は高いですね。
他人には迷惑をかけつつ、親類は守る、というか。。


結局のところは、死後のことをえげつなく考える前に、今を生きよ、ということなのでしょうね。(みもふたもない結論。。)

その「今を生きる」の質を高めなければならないのでしょうけど。
自分が、今を一生懸命生きている、そして、晩年においては「生きてきた」のだということを、きっちり、家族や親類、隣人、近しい知人には伝達していかなければならないのでしょうね。「足跡を残す」といいますか。
まァ自慢する必要はありませんが。。

周囲のヒトたちの、パーソナルな「歴史」には、名を残すことにはなります。僕の生き方みたいなものが、僕の死後周囲に「規範」として残れば。。
いや、「規範」はいいすぎですね。ただただ、「いいひとだったなあ」とか、親切にしてもらったとか、はたまた、何か買ってもらったとか飯を食わせてもらったとか、そんなことでもよいのだと思います。

そういう良き思い出になってもらえるのであれば、それだけでも役には立っている。


あとは、順番を間違えないだけ。。(親よりは早く死なない、そして、子よりは早く死ぬ)