元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

知識と教養

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  • 知識と教養

知識を、教養に昇華させてゆく作業は、ゼッタイ必要になってきます。知識は、自然に教養にはならない。

なぜならば。。教養は人生を豊かにするものであり、知識は人生を惑わすものであるから。

たとえば高学歴の専業主婦の方々はみな、この「知識」のために、惑っています。
「知識」の単なる蓄積によって自身を高尚な存在とみなしてしまうという病。。


ではどうやって? というところは、各自で考えるしかないのですが、まず、そこに気付くところから、なんですよね。。ただ知識を蓄積しただけでは幸せにはなれないということに。。

気付きがあれば、ほぼ解決したも同然で、そこからどうするかは自身に問いかけてみればおのずと答えはみえてきます。

いや、その「自身への問いかけ」もムズカしいのですね。。慣れていないヒトたちにとっては。

勇気を出して書き出してみるのが、よいのです。