元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

掃除の「覚悟」

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  • 掃除の「覚悟」

風呂掃除を僕はよくやります。

で、カビだの、隙間の黒ずみだの、掃除をやっているとそういった手ごわい汚れが多々発生するわけですが、それは、「爪」で取るのです!

というのを僕は静かに主張します。

道具や塩素系洗剤をやたらと使っても、落ちないものは落ちない。落ちるのだとしても、爪で物理的にそぎ落とすのがいちばんよいのです。


それを「キタナい」といいますか?
自分の爪(身体)を汚すのは、イヤですか?

そういうヒトは、覚悟が足りないと思われます。

。。なのですが、「たかが」掃除に覚悟なんか必要なのか? という反論もあろうかと思います。
「楽しくやろうよ」的な。。

楽しくやるということに総論賛成ではありますが、掃除をするということは自身も汚れるのです。

自身、あるいは家族が汚したもの、あるいは部分を、マスクをしてゴム手袋をはめて、道具を駆使して洗剤を頼って、まるで穢れたなものを扱うかのように掃除するのが、おかしくないですか?
ということをいいたいのです。

「おかしくない!」と断言できる方はおそらく僕と意見があわないのでしょう。


爪を使って掃除して、爪の間が汚れたのだとしても、そんなものは知らないうちにキレイになっています。
ムカシ、コドモの頃、油性ペンは落ちないといわれていましたが、手に油性ペンで何か書いても、結局いつのまにかなくなっていました。

アロンアルファはゼッタイに肌につけてはいけないといわれていましたが、手先にちょっとつけてしまっても、いつのまにかなくなっていました。


会社で、エラい方々が率先してトイレ掃除を行う、というハナシをよく聞きます。
トイレ掃除により金運がつく、と。。

それとなんとなく、似ているように思うのです。


ゴム手袋などを使わず、素手で掃除するという行為によりココロを謙虚に保つことができるのです。
それが巡り巡って金運を呼び込むのでしょう。

ですが、大事なことは、金運を呼びたいから掃除をするのでは、ないのです。

ヒトは、自分の生活範囲、使うものをキレイに維持しておく、義務があるのです。
だから、やる。それだけです。

今の時代、そのあたりまえの義務を行わないヒトが増えてきているから、たまたま、アタリマエのようにそれができる人に運が呼び込まれているようにみえるのでしょう。

義務をあたりまえのようにこなしているヒトには、あたりまえの「ふつうの幸せ」が巡ってきます。
この「ふつうの幸せ」が、(義務を遂行しない)他人にはうらやましいのでしょうね。。
あくまで「ふつう」なのに。


義務を義務と認識しているのであれば、義務を「楽しく」やるのもよいと思うのです。
でも僕は、義務というのはまるで空気のように、淡々とやるべきだと考えています。