元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

選民意識からの脱却

こうありたいまたは反面教師

  • 選民意識からの脱却

正月明けに、お屠蘇気分が抜けないままに、朝の新宿駅の雑踏にもまれながら考えたことは。。

おそらくムカシも今も、自分は「ヒトの流れに乗ってゆけない。。」と自分のことを考えているヒトたちはたくさんいるんだろうな、と。。この雑踏の中にも、多数。

僕の人生は「そこ」からの脱出であったといっても過言ではありません。そういった類の「選民意識」からの脱却。。

僕ももちろん、雑踏の中でそういうことを考えながら悦に入っている人間のひとりでした。


人の流れに乗れないと考えるのであれば、乗れるように訓練すればいい。どんな人間であっても訓練次第でいかようにもなります。

その訓練をしたくないから、いろいろ言い訳を考える。その中のひとつが、自分はそういう(ラッシュアワーに人混みにまぎれているような)人間ではないのだ、ないに違いない、という思い込みなのですね。

そういうところにまぎれて、同化してしまったら自分の価値が下がってしまうのではないか、そうに違いない、という恐れ。。

そういう考えのあるうちは、ダメなのですが、若者のうちはまだいい。でも、いつまでもいつまでもそういう間違った選民意識が抜けないヒトたちが増えているような気がします。


毎日毎日「イヤだなあ、イヤだなあ」と常に朝から考えているような人生は、不幸ですよね。。
その不幸から脱却するために、「イヤなことをイヤと思わないという訓練」はもっとも大事なのです。