元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

満腹まで食べなければいけませんか?

こうありたいまたは反面教師

  • 満腹まで食べなければいけませんか?

僕は、「もう終戦直後じゃないんだから。。」と思うことがよくあります。

たとえば家で、たとえばお呼ばれしたとき、たとえば外食したとき、ご飯がたくさん出てきます。

もうそれは、無用なほどに。

個々人のキャパシティを超える量は出てきますね。


それを、残してはいけませんか?
その前に、そんなに出さなければよいのでは?
とすら思うのですが。。

「エコ」を標榜するのであれば、まず食事の絶対量を減らすべきでは?


僕は、満腹になると、苦しくなって、その食事の楽しかった雰囲気が台無しになってしまうのです。
つまり、途中までが楽しかったのだとしても、最終的に「苦しい」つまりイヤな思い出となって刻みこまれてしまう。

では食べなければいいではないか、といわれるかもしれませんがそうでもないのです。

「もう結構」と言うのにも躊躇があります。せっかく出してもらっているのに。。と、良心の呵責が起こり、結局、腹十分目ぐらいまで食べてしまうことが多い。

「もう結構」と断れたとしても、なんとなく罪悪感のようなものが残り、その食事がイヤな思い出になってしまうという点では、同じになります。


今でもおぼえていますが、まだ結婚したばかりの頃。。家内方の実家に帰省したときに、田舎なので料理がたんまり、出てきました。

そしてそのとき、僕の立場は、「もう同じ家族なんだから遠慮しないで!」という空気が蔓延していました。

つまり、「同じ家族なんだから」ということは、「お客様気分でいるんじゃないよ」という警告なわけです。
もう客じゃないんだから、ふんぞりかえっていないで、たとえば食事の前の準備も、食事の後の後片付けも、積極的に参加せよ、と。

そういう空気には「総論賛成」なのですがなんとなく違和感を払拭することができず。。

そして悪いことに僕は、そのとき、とても歯が痛かった。それを伝えていなかったのです。

歯が痛いがゆえに、動きがスローモーになっていて、食事の手伝いもロクにできず。。

たんまりご飯が出てきたのですが、ほとんど口をつけず、でも、「あれたべる?」「これは?」と、言われたものはなんとか食べていました。「悪いなあ」と思いながら。特にカタいモノは、歯が痛いので食べたくなかったのですが、すすめられたモノはムリに食べていました。

おそらく、それが礼儀であると思っていたのでしょうね。


つまり、すべて受け身だったわけです。出されたものを食べる、と。

それが、そこの家では「ふんぞりかえっている」と見えたヒトもいたのでしょう。おそらく。

食後に、やんわりと、いろいろといわれました。
アナタの家の父親はさぞかし亭主関白だったんだろうね(だからアナタもまんま受け継いでるね 食事のとき何もしないね)、とか、そういうことを。

そのとき僕は「せっかく」と思いました。「せっかく」というコトバは、好きではないのですが。。
「せっかく食べてやったのに」と。恩を仇で返された感じです。

もちろん食後に僕は、「いや実は歯が痛くて。。」と言い訳しましたが、もはや後の祭りでした。僕に対するそういう「殿様のような食べ方」というレッテルはもはや、一旦貼られたら払拭することはできないのです。
それと、おそらく他人からみたら僕は、不機嫌に黙って食事を食べる人間という印象だったのでしょう。


そんなこんなで、僕はその後、家内方の実家で食事を食べることはほとんどなくなりました。
そもそも、家内方の実家にはゼッタイに行かなければならないとき以外は立ち寄らなくなりました。
で、たまに行くときはすべて外食しています。

あの夜の出来事は、僕のココロに今でも重くのしかかっているのです。